反日常系

日常派

日記

 金もなくなり、そのくせに新しいエフェクターを購入し、変な音が出たら喜んでいる。生活能力(と生存のための思考力)が著しく欠如しているために生活をどうにか福祉でようやく生き延びているが、生活能力が欠如していなかったらもう少し簡単に生き延びていた気がする。絶対買い戻してしまう本以外を売る本として纏めるが、結局は読んでもいない本ばかりがその領域に積まれていき、本すら読むことが出来ないのかと思うと憂鬱な気分になる。いつ本を売りに行こうかと思うが、太陽はじりじりと野良猫の肉球を焦がす温度で高度を上昇させているし、大きな荷物を持って、わざわざバス代まで払って古本屋に行くことを思うと腰が重い。

 リトルガールハイエースを聴いた。バンドキャンプで買った解説と共に音楽を紐解く。リトルガールハイエースのタイトルにはアニメやポルノ漫画からの借用が多く、どんなインプットでもアウトプットに直結するのは羨ましい。漫画すら読むのが億劫で、成人誌でも買えば少しは文章を脳内に入れることが出来るだろうかと思うが、多量の古本で得るであろう数百円でそれを買うことを考えると、もったいなくて溜め息が出た。ポルノ漫画には趣がある。ないものもある。前者のことを考えるとやはりエモとは結局のところ健全なポルノなのであって、ポルノ漫画はセンチメンタリストに向けての性欲でコーティングされた離乳食なのだろうという結論に至った。

 血液検査の結果、僕は男性ホルモンがほとんど生成されていないという結論を得た。それは自分の性別から来る性嫌悪故に喜ばしいものだったが、性的衝動の減退は、なにか元気に行動したり創造したりする要因となる性欲を失ったことと同義である。躁鬱の秤が鬱の方に傾いていることも相まって、今の自分には──厨二病的な物言いをすれば──感情があまり振れることがない。ただ、時間が経つのを待っている。煙草と沢山飲んでも効きやしない安定剤を往復して、胃の中で錠剤を麦茶で溺れさせている。

 クリエイティビティが加齢によって減退するとは思わないが、イノセントな意欲は消耗していくだろう。ツイッターはもはやどうその問題を克服していくかが大きな課題で、誰も彼もが自分だけのイコンを探してる。僕もその最後列に並びたい。ポルノ漫画だろうが、話のないアニメだろうが、アイドルだろうが、名作映画だろうが、何かが僕に笑いかけてくれるのを待っている。ごっこ遊びみたいに夢中になれる憧憬の対象を探している。