反日常系

日常派

短編

メリークリスマス、パンクス

 アフレイドというバンドを知ったのは、アマゾンプライムでのドキュメンタリー映画が原因だった。最近は人が何か信念を持って物事を続けているということがことさら素晴らしく見えるらしい。名の知られない老芸術家が延々と名の知られないだろう作品を描き続けているドキュメンタリー映画を数作見たことがある。希望をなくさないことは生きることに同義かもしれない。しかし、それならば、生きることは目をつむることと同義かもしれない。バンドの演奏は酷くばらばらで、小指の欠けたギタリストは曲によって様々なチューニングをし、同じにしか思えない演奏を続けた。
 ぼくには明らかに希望が必要だった。が、希望を得るにはぼくの目は開きすぎていた。担当医には悲観的だとよく言われる。考えるということは起きる前に目を閉じて昼か夜かを推測するようなことだと思う。目を開いて生きていると、考えることなんてない。結果がわかっていて推測をする人間はいない。昼だと思った明るさが、人工的な蛍光灯の灯りだったら、酒屋も閉じたこの夜を、これからの長い夜をどう過ごせば良いのだろう。
 ぼくは二十二になった時にセックス・ピストルズを聴くのをやめた。二十四になった時にジョイ・ディヴィジョンを聴くのをやめた。二十八になった時にジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョプリンカート・コバーンロバート・ジョンソン、ドアーズ、初期のローリング・ストーンズを聴くのをやめた。ぼくに必要だったのは明らかに悲愴的でそれ自体が救いであるような物語だった。それを望むには些か歳をとりすぎていた。そのくせ、何も持っていないという一種の幼さが白痴のように明るく悪目立ちして、自分が悲愴的な物語の主人公になり得ないだろうことだけがわかる。今のぼくが夢見ているのはマーク・ボランの交通事故なのに、ぼくは車の免許すら持っていなかった。失うには値しないものばかり持っていて、落伍者になるには落ちぶれすぎていた。
 いつも、ぼくは池袋のバーで飲むために東京の精神科に最後の時間で予約して通い、バーが開くまでファミレスで本を読んで待っている。担当医は当分の間の治療方針を「死ななければ良い」にしていて、死ぬような薬は出してもらえない。そして、そもそもぼくに自殺する才能がないことがぼくの人生をB級コメディにしていた。市販薬の過剰摂取で死のうと思っても、首を切って死のうと思っても、気づけば閉鎖病棟なのだ。自室で気づいたら死んでいた、なんて厳かな死がぼくにはやってこない。ぼくは地方の実家暮らしの二十九歳で、市販薬で幻覚を見て父親の毛をむしり、首を切って死のうとしていたら母が急用で部屋のドアを開けてしまった。実家にいる限り、死ぬのは無理なのかもしれない。けれど、完全に死ぬという自殺方法は怖くてできない。コインを投げて、裏だったから死ぬというような、運任せな死に方がいい。崖から深い海の中へ飛び込んだり、高層ビルの最高層から飛び降りるなんて怖すぎる。だから、ぼくは情けなく迷惑をかけるように死のうとする。立つ鳥跡を濁さずと、鳥以下の脳味噌で鳥にさえ憧れて、今日も二百五十六回目の手首の傷をさすった。バーには音楽が好きな人がだいたいだったからよかった。「何をなされているんですか?」より、「どんな音楽が好きなんですか?」の方が多く飛び交うバーは、実家暮らし無職障害者年金暮らしにはちょうど良かった。ぼくは毎年そこでバーのマスターとセックス・ピストルズが行ったクリスマス・パーティーの話をしたり、ジョン・レノンのハッピークリスマスを流したりしている。もう使い古された過ごし方だが、ぼくは型落ちこそがもう若くない自分にとって最適な形容なのだと信じて疑わない。いつもの通り、人から貰ったベンゾジアゼピン系薬剤を飲んでから、一杯テキーラを入れて、それからやさしいカクテルを名前もわからず頼む。いつもそのやり方だった。昔のバンドメンバーの森が、ベンゾジアゼピン系薬剤を嫌って、ぼくに横流ししてくれるのだった。いつもクリスマスになんとなくバーに集まって年末年始分の薬をたかっていたのだが、二三年前から、妻と過ごすから、とクリスマスに会えなくなった。薬は封筒に入れられて、年賀状と共に届くようになった。昔やってたバンドはなんだか青春の象徴のように輝かしく思えるけれど、始めたのは二十四だから思ってみれば青春とも言えない歳だ。ドントトラストオーヴァーサーティ以下だが、生き過ぎたりや廿三(にじゅうさん)以上。そうか、一個下だったさっちゃん(ベーシスト)も、二十七を越えたのか。さっちゃんは未だぼくとクリスマスに顔をひっつけて歳をとるにつれて下卑ていく生き方をしてくれている。ロックンローラーは二十七をひどく意識している。そして消え去るより燃え尽きた方がいいのに、ケツに火さえ着かなかったのだとこれからの事を考え始める。人によっては遅すぎるトレインスポッティングのラストシーンを迎え、人によっては卒業のラストシーンを選んで、暗示されてしまう時もある。
 スコット・フィッツジェラルドゼルダ・セイヤーの伝記本を読みながら、彼らが若者らしい輝きを謳歌していた歳をとうに過ぎていることに気付く。アンファンテリブルはアルコホリックになって、誰も寄り付かなくなってくる。急いで巻末の年表まで飛んで、死んだ歳を知る。嘘だろ。四十四歳と四十七歳。才能があって、才能を輝かしつつ、翳りをさし、それから死ぬまでに何年もかかる。ロックスターとは違い、芸術家や文豪と呼ばれる人々の中にはそのような翳りを評価されるような、転んで擦りむいたひざより、転んだ足跡こそを保存しようというような、なんだか、本人と遠いところでの評価があるようである。ゴッホはその好例だ。彼の失った耳は多くの語り部の声に乗って誰かの耳を楽しませている。彼自身の悲しみとは別に。こんなことを思うのは、ロックスターには夢を見れなくなった型落ちの男が、芸術家に夢を見ているという笑い話にもならない症状なのかもしれない。
 バーが開いたとの連絡がさっちゃんから来て、急いで本をリュックに詰めてファミレスを出た。ドリンクバーだけの料金を払って、財布は小銭で少し膨れた。今日はクリスマスだ。そして、バーのマスターの誕生日でもあった。ぼくは誕生日を隠れ蓑にクリスマスから目をつむっていたいだけだった。目をつむっていられる分、楽観的になれるのだ。何がハッピークリスマスだ。戦争は誰が止めることを望むべくもないから止むことがない。さっちゃんと合流して、近況を聞くでもなく最近聴いている音楽の話をした。最近と言っても、最新の音楽はこの話題から遠ざかっていった。なるべく古くて、なるべく知らないようなバンドの話をしていることが多かった。
 なんとなく、アフレイドの映画の話をした。下手くそなギタリストにルートしか刻まないベーシスト、ハイハットを叩かないドラマー、パンクスと言うには年老いていた。しかし夢に向かって頑張っているよというような、よくある結末。もうこんなの見たって、希望なんか貰えないよなあ。希望って、どうやって貰う物なんだっけ。もう、いい感じに悲愴的だと思った。このまま、夜更けに外に出ようと思った。テキーラデパスを今の三倍とすこし飲んだ。眠れたならもしかしたら凍死出来るかもしれない。適当に理由をつけてさっちゃんを残し、夜更けにバーを去った。どこで寝たかも忘れたが、起きた時には毛布が二枚と、横にホームレスの爺がいた。爺はぼくよりかなり厚着をして、服によって丸々としていて、暖かかった。
「おお、起きたか。お前、あのままだったら死ぬ羽目になっていたぞ」
 顔の近くで爺が喋るから口臭がすごい。溶けてなくなったような奥歯が口の中からアピールしてくる。
「死のうと思ってたんだよ」
「そんな歳でか?」
「もう三十になるんだぞ。ロックスターならあらかた仕事は終わってる歳だ。そのくせにまともな仕事には病気と怯えで就けない」
「ロックスターなら! はっはっはっはっ、ははっ、ごほっ、ごほごほっ」
「もう何も希望がないんだよ。死ぬしかないわけじゃないが、死ぬのもいいと思ってる」
「そうか。わしがこの生活を始めたのは五十一の頃だったが、死のうとは思ってなかった」
「楽観的だったんだな」
「そうかもしれない。しかしお前は悲観的にすぎる。そういうのはいつか卒業するものだ。これは説教ではないぞ。そういうものだという摂理だ。お前もこうして生き延びたのだから楽観的になればいいじゃないか。ほれ、酒ならあるぞ」
 そう言って爺はポケットからぼくの財布と鬼ころしを出した。
「それぼくの財布じゃねえか」
「すまんな。宿代だと思ってくれ」
 財布を奪い取り、中を確認すると、小銭が少なくなっていて、札はそのままだった。想像するに、ぼくが寝ている間に少し酒を買ったくらいだろう。
「札取らなくていいのかよ」
「札を取るような奴ならお前を生かそうと思ってないよ」
「まあ、ありがとう……」
 鬼ころしを受け取り、ちゅーと飲む。
「もう寝るなよ。一週間も暖めてやったんだから」
「は? 今いつだ?」
「元旦だよ。あけましておめでとう」
 爺がぼくの手を勝手に取って乾杯させた。
「小便とか、どうしてたんだ?」
 どうでもいいことが気になって聞いてしまう。
「その度に起きてそこの木に小便していたよ。その度にまだ生きてるんだなと安心はしたが、もう一度寝入るもんだから、いつか死ぬんじゃないかと気が気じゃなかった」
「まあ、ありがとう。ぼくも薬と酒が抜けたみたいだし、とりあえず帰るよ」
 ホームレスに強めのチューハイを十本くらい買って渡した。帰りの電車ではホームレスの異臭が移ってしまったのか、混んでるくせに誰も寄り付かなかった。もういい。ぼくは素面のまま電車を降り過ごして終点まで乗った。乗り越し料金を払うと財布がいい感じに軽くなった。久しぶりに見た漁村は暗闇と共に脅してくるようだったが、幼少期よく遊んだ場所はなぜかすべてが見えるように道を覚えていて、一度も道を間違えずに崖に来た。一寸先は闇だが、潮の匂いと波の音が海の存在を保証している。何回か、潮の匂いを嗅いだ。息を口で吸っても、海の味としかいいようがない味がした。漁村生まれじゃないと分からない味だ。それからぼくは何歩か歩いた後、踏み違えるのを正解にしてもう数歩歩いた。ゆっくりしすぎた後、日の出が海を照らし始めたので走って飛び込んだ。