反日常系

日常派

ウラミ・ツラミ・タノミ

 忠犬ハチ公は、残飯を鋭く狙うことで有名だったそうである。久しぶりに文章を書こうと、もったいぶった話から初めて、じっくりじっくり確信に近づいていく、そしてあとほんの数センチメートルというところでそれはふっと消えてしまう。自分が何を言おうとしたかすぐ忘れてしまう。

 少し考え直して、ふと、何が言いたいか思い出した。ぼくはいつまでこんなフーテンで生きていけるのだろうか。フーテンを辞書で調べてみる。

瘋癲(ふうてん)

・精神的な疾患。→ 精神疾患
・定職を持たず街中などをふらつくこと。またはその人。→ 無職

 どちらの意味もぼくを指す言葉として一応機能するようである。なんもしたくない。さっさと薬でパッパッと頭から思考を消したい。

 ぼくは障害者だ。だから障害者年金で生きている。ということは、生きていけないから生かされているということだ。医者は行きづらい。人とのコミュニケーションの断絶を感じる。ぼくの辛さはリストカットの跡、一気に飲んだDXMの量、そういうショボいものでわかってくれたらいいのだけれど、きっとわかってくれない気がする(これは医者をdisってるのではなく、自分の対人コミュニケーション全ての通奏低音だ)

 JAシーザーの本で、あの時代はフーテンが多く、フーテンはみんなの施しで生きているものらしい。一種の仏教的ともいえる考え方だ。

 ぼくは一瞬ママ活のようなことをしたり、友達や彼女に何回か奢らせていたけれど、それはフーテンと呼べるのだろうか。多分、徳があって、癒し効果があって、それでいて無関心でいてくれる、相互に何も期待しない状態が続かないと無理なのではないか。

 

 あーうまくもねえ酒を眠るために飲み始めました。最近もウイスキーを水でじゃっとやっています。

 困っていることが二つあります。

 一つは、アンチにTwitterに監視されているという想像が頭の中によぎって言えないことが増えます。ぼくの中の正義と悪という概念は人に叩かれないか叩かれるかなんですよ。だから、こんな国家フーテン暮らしをしていると、他の国民の方に嫌われるのではないかと思ってしまうのです。

 二つ目は、ぼくはどう生きるかということです。バンドは全然集まれないし、文章もこれといって上達したという気持ちもない。出会い系で女の子と会うのにも飽きた。もちろん男にも。人に期待を持てなくなるほどすりきれてしまいました。

 真新しいことといったらバンドか。バンドというか宅録ユニットですけど。あー、ドラムとベースとギターとギタボでちゃんとやりたいな。

 

 誰かの好意を利用したい。甘え尽くすだけ甘え尽くしたい。でもそんな思いも二十四には薄れてくるようだ。ぼくは母親と最近すごく仲がいい。父親は病気になったので「めんどくさいから」という理由で腫れ物の自分に触らなくなった。

 擬似家族のママは知らない。ブロックされてるから。パパも知らない。新しい恋人がいてはぼくなんかがライン送っても見る時間も送信する時間はないだろう。バンドメンバーの森も彼女がいてさらに多忙だからラインもしない。ツイッターもしていないようだ。馬鹿話をしてBLを匂わせていたあの頃が懐かしいよ。

 パパとママ、もう一回か、疎遠になる前に戻って聞いておきたいことは、何もメンタルにガソリンが残ってない時、どのような軽食の本を読みますか? ということです。今となればあの引っ越してしまったあの雑然な部屋の本を何冊か盗んでおけばよかったなと思います。でも、盗まなかったのは、その時はこれからも会うかもしれないという淡い期待をしていたからでしょうね。

 

 ぼくは今、ここ数年本をまともに読めていません。音楽雑誌とかは読むのですが、座って文庫本に意識を集中させるということができないのです。なので面白い文芸かかわいいラノベか音楽小説(漫画も可)を教えてくれると幸いです。本というトリップをちゃんとやっていって知識にしていきたいのです。