保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

日記

 病院に行くために、実家から借りている部屋に行き、何もしなかった。部屋から病院に行き、実家に帰った。やはり、何もしなかった。

 それ以前は、まあまあ趣味を行えたり、本を読めたりしたのだが、少しのルーティンの崩れで、何もできなくなってしまった。don'tもcan'tでも、何もできないと、何者にもなれない。だから自己嫌悪に塗れる。やけにお腹が痛い。

 オーバードーズも、リストカットも、瀉血も、何もかもがつまらない。ぼくには恨むべく人々がいなくなってしまった。少し大人になって、ちゃんと諦めがつくようになりました。過ぎ去った人々の背中に血を塗るように我が身を切るのはもうやめました。やめたと思いたいです。人のせいにして自殺するには周りに人がいなすぎる。

 ぼくは喧嘩が出来ない。喧嘩になると、すぐに怯えてしまって、メンタルが弱くなり、震え上がってしまう。だから言いたいことが言えない。言いたいことが言えたらなあ。穏やかな流れのような相手の言葉に遡上するような言葉さえ言えない。そうですか。なるほど。知らなかったです。言えば言うほど透明になっていくみたいだ。

 消えたい。死んでしまいたい。想像力や体力がないと、そういうことばかり考えてしまう。もう、自分に失望するのは飽きました。入院も飽きました。病気も飽きました。そうやって思い込んでいます。しかし、生活に顔を出すのはその辺りのネガティブだ。

 生きてても何も楽しくないです。病気を恐れて外にも出ず、ただただ消えていく時間の秒針が、きりきりとぼくの心臓を締め上げているようだ。わかってるのは外に出てもどうせ楽しくないし。

 どうせ、この言葉がいけないのだ。どうせ、駄作ができる。どうせ、生きても意味がない。どうせ、何者にもなれない。どうせ、死ぬことは無理だ。全てを実行に移す前にトカトントンとぼくを萎えさせてしまう。ただ屍のように横たわっています。ぼくはただ疲れ切っています。ぼくの才能のなさがひどくむかついて、握った拳が固まって、疲れ切っていて開くこともできない。もう無理なんです。自分の野郎をぶん殴ってやりたい。できないことができないということが今は全然許容できない。