反日常系

日常派

自己嫌悪

 言いたいことは何もない。コデインを飲んでも体はさりとて何事もなく、大体いつものように効いてるのかわからないけれど、その行為自体が自傷の趣を持つからそれだけで自傷をした気持ちになった。少し自分を征伐した気持ちと、このまま消えていくことができない悲しさで、もっと嫌な気持ちになった。大嫌いな自分を傷つけたって特になんの達成感もなく、傷つけたとも傷ついたとも思わず、ただただ疲れて他人事みたいな風に思えるだけ。

 誰も私の寂しさに注視しない。それはとても賢いことだと思う。意味がないもの。無為なものにかまけるより、自分のことを少しでもやったほうがいい。酒に酔って、というより酒に酔ったせいにして、人々の関心を乞おうなんて浅ましいこと、何百回だってした。疲れた。周りもそうだろう。早く死ねよが大半な気がする。死んだ時はピークだからピーク以降に気を使わなくて済む。愛してるよみんな。それが共通認識でないことはとても悲しいけれど。中学の時とか高校の時、人を笑わせればそれだけで居場所があった日々が懐かしいよ。大人はどうやって居場所を見つけるんだろうね? 私にはとうにわからないよ。

 みんなと何かをしたいなんて、青春を取り戻そうとする惨めな働きなのかな。いつか達成感を得て、青春ノイローゼを克服して、社会の中に居場所を見つけられるかな。無理だろうな。私は何をしたって、うまくやるということはできないだろう。例えば生活、例えば就労、例えば芸術。何もできないを発見するまで、何もできないを実感するまで、その直前に死にたい。どうせ何もできないんだと、諦めて生きるのが困難だ。これが一番の近道で、人々は大体これができるというのに。これをしてから社会や人生を始めているというのに。私は双六で、賽を振らなければならないというルールにつまづいたまま始めることに同意できない。周りはもうスタートしている。