反日常系

日常派

夢日記

 久しぶりに外に出る。私は引きこもりだ。月に二回、父親が宗教の会合に行くのに車を出してやる。父親は宗教の会合に行くと必ず酒を飲む。そのために私が車を出さねばならない。私は宗教の信者ではない。父親が幾度となく勧誘をしてきたが、なんとか信者じゃなくやっていけている。それは自由意志云々と言うよりかは、母親の宗教に対する不信感。父親が勧誘し、母親がそれを拒絶する。長くなったが、言いたいことは、新興宗教の会合まで、父親を乗せて行くのはちょうどいい中立国の私だという事だ。車の運転は田舎であればあるほどつまらなく、運転や車というものに興味がない私でも、木が人を馬鹿にするように等間隔で並んだ道を延々と走っていると腹が立ってくる。父親が唾を飲み、喉を鳴らした。私はその音に緊張し、気が気でなくなる。父親の癖なのだ。唾を飲み、喉を鳴らしてから喋る。大体その後に続く言葉は私への罵倒なので、幼い頃からこうもやり続けられると、電気ショックに怯える猿みたいに習慣付いて怯える羽目になる。そうでなくとも、父親の一挙手一投足には怯えてしまう。廊下が父親の歩くリズムで軋むと、それだけで体が硬直する。父親が何かに手を伸ばすのを見ると、私の髪の毛が引っ張られているのを想像する。

「病気はまだ治らないのか」

 何回か喉を鳴らしてから父親はその言葉をようやくといったふうに口に出した。病気とは私の精神の病のことである。そして、父親のこの言葉は言外に「早く治せ」と言う意味と数多くの罵倒を隠しているように思える。

「まだ。うつ病はちょっと時間がかかる病気で、治そうと思えばとか、医者に行けば治るってものでもないから。それに、性同一性障害って治すものじゃないの。体の方を直していくのものなのよ。

「じゃあ、医者に行かなくてもいいだろう」

「そうじゃないでしょ」

「おまえもういくつだ。ちゃんと将来のこと考えて生きなければ、どうなるかわかってるのか。俺が死んだらどうするつもりだ」

「治ってたらどうにかなるし、治らなかったらどうにもならないってだけでしょ」

「なんだその口の利き方は! 誰が生かさせてやってると思ってる!」

「……………………会館着いたよ。待ってるから、終わったら声かけて」

 ため息ばかり出る。カーラジオをつまらないラジオから、別のつまらないラジオにチャンネルを変える。平日昼間のラジオは幸せな家庭の面白エピソードみたいなのが多くて腹が立つ。選局をNHKのクラシック番組に変えて、暇を潰しているうちに、うとうとと眠りこけてしまった。

 

 叩き起こされると、父親が近くのラブホテルまで車を出せと言う。「どうして?」と聞くと、デリへルを呼んだという。呆れた。母親と喧嘩してから、風俗嬢のやっかいになることが多くなった。母はそれを見て見ぬふりをしている。近くのホテルまで車を出すと、父親がホテルへと入って行った。そしてすぐ戻ってきて、私を連れ出して、父の隣の部屋に入れた。どういうつもりなんだろう。

 そうしていると、隣から物音がギシギシ聞こえ、それに乗っかるように、動物の鳴き声みたいな喘ぎ声が聞こえた。私は非常に嫌な気分になった。なぜ、父の性行為を知覚しなければならない。

 それから程なくして、喘ぎ声が止んだ。静寂。私のドアがノックされた。父親だろうか。

 私より背の高い女だった。

「お父さんに息子さんの分の料金も頂いておりますので」

 不自然に高い声だ。

「え、いや、する気はないですよ?」

「させるのがお父様の要望ですから……」

 それから何回かその女の中で果てて、それからぼんやりとホテルを出たいと思った。女が背中を丸めて服を着ている時、誰よりも愛おしく思えた。

誰かの言葉で自分が決まっていく

 入院したいとの思いが入院しなければとの思いになり、閉鎖病棟に電話をかけたところ、通院先に相談してみてくださいと言われた。そりゃそうか。頭が動かないので、そういうよく考えればわかることをよく考えれないために分からないことがよくある。その度に自分の頭が動いてないことだけを把握して、その次にまた同じところで蹴躓く。

 通院先に電話をかける。担当医が月火水しかいないので月曜日に予約を取る。

「どのような症状ですか?」

希死念慮です。あと飲酒したり」

「それだけですか?」

「あ、あと過量服薬も」

 嘘である。

「たくさんお薬飲んじゃったんですか?」

「はい。と言っても少しですけど」

「はい」

「そうしてると市販薬過量服薬して閉鎖病棟に救急搬送されることにつながるのが多いので……」

「そうですか……」

 嘘をついたのは、自分の思いが軽く思われるのではないかとの思いだった。軽い症状だと入院できないのではないかとも思った。しかしよく考えれば軽い症状の人しか解放に入院しないのでは……? いったいどっちが正解なんだろう。入院までに時間がかかるだろうけれど、早めに入院の用具をリストアップした。今回は最長期間居ようと思った。すぐに自分の気持ちは変わっていってしまうのに。嫌なことを忘れる期間が必要なのだと思う。入院したいと思うのが思ったよりも早かったので、部屋の中から退院証明書を探し出した。退院してから三ヶ月以内に違う病院に入院する時に、紹介状の役割を果たすものだ。おととしの退院証明書もあるので、中身を確認しようと、封を破り、中身を読んだ。f:id:freak_tanatra:20190223133400j:image

 ん? 見慣れない病名がある。統合失調症……? いやいや、と思っていたが、その字を見てくるとなんだか笑えてきて、最終的にゲラゲラ笑った。もう躁鬱で統失とか無理だろ。無理すぎて笑えてきてしまった。恐らく、搬送されてきた時に幻覚を見ていたからではないかと思うけれど、最近幻聴がするのも確かだった。それが寝起きに多いため、寝ぼけているだけかと思っていた。とりあえず、「寝起き 幻聴」で検索をかける。

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 よかった〜。薬物の可能性もある〜。

 よくない。検索すればするほど統合失調症の文字を見る。しかし人の声であることは少ないからやはり違う気がするのだが……。とりあえず主治医に聞いてみようと思う。うつ病から始まって、躁鬱になり、そこから統合失調症になったとしたら、病名のデパート病の海(やまいのうみ)である。流石にキツすぎる。なるべく現世や世俗に留まっていたい。妄想や幻覚に引っ張られたくない。今日は深夜に鳴ったチャイムで起きた。不安になって覗き孔を覗くと誰もいなかった。

入院したい

 精神科に入院すると入院オタクみたいな人が一人はいて、そういう人間にはなるまいと強く思うのだが、最近は辛い時に入院したいと思っている自分に気づかざるを得ない。最近は辛いことばかりで、外に辛いことがなければ絶えず自分が自分の粗を探して辛くなるだけ。世間はそれを想定する人間の妄想だから、世間に扮装した自分にひどく言われている。病院で「外に出ると息が詰まるんです。喉が絞められたように絞られ、鼻で息をすることが困難になり、その後に口での息が浅くなります」というと、それはストレス性のヒステリー球と呼ばれるもので、ストレスを感じると喉が締まることがあると言う。外に出るだけで過大なストレスが溜まっているのか。いよいよ、生活が困難になってきた。それも、外因ではなく内因なのだから、滑稽としか言いようがない。

 ここ最近夜になると、市販薬か入院のことしか考えていない。朝になるとすべての気分がリセットされるのだが、それすら自分が白痴に見える一因になり、また、明日の自分にさえ軽んじられるのなら、自傷と言う形で痕に残して態度を示していたくなる。なるべく死にたくない。なるべく病院から出られないような生活はしたくない。そう考えると、任意という形で入院した方が良いのではないかと思えてくる。入院という形でないと生活ができない。自分が生活を行使せず、人に任せていたい。実家は繭にはなりえない。自分の部屋も繭になりえない。生活力の欠如が生活自体を外敵にしてしまう。

 

 最近、ポール・オースターの『空腹の芸術』というエッセイを読んだ。クヌット・ハムスンの『飢え』を題材にしていて、その作品では、物書きを目指した少年が自分で選んだ断食のために文章を書くことができないという、自由意思での断食と芸術がテーマとなっている。オースターはそこから芸術論を繰り広げるのだが、ぼくが心打たれたのは、主人公が苦しむのは苦しむことを選んだからである(ゆえに同情はできない)と言ったこと。もうひとつは、断食を(達成すれば死んで断食が終わってしまい、達成できなくても断食が終わってしまうため)解決されない矛盾のある行為、つまりは絶望であると言い、自己破壊的な情熱が自分を破壊できないがゆえにさらに絶望するという部分だった。飢えを自傷に変えれば今でもよく見かけることだ。同情さえされず、絶望が自分を食らっては食い残し、一人で自分を食い尽くせないことに不満ばかり立てている。生活を用いた自傷を繰り返している。

視野半径二時間

 前にもつけた題名をもう一度冠す。病気が良くなることはなく、かと言って悪くなることもないという形での悪化の一途を足取り重く進んでいる。

 相も変わらず二時間前と二時間後が断絶したような生活の中で、気分の様変わりに右往左往している。外に出て、次の季節を感じると、半径二時間の視野で遠くの景色を見れた気になって内心ではしゃぐ。薄手のアノラックでも寒くない日だったとか、エアコンをつけないでも過ごしやすかっただとか、三日後に元の気温に戻る朝三暮四に騙されても、一時的でも気分が上がればそれが真だ。狭い思考に一喜一憂しながら、それでも長期的な目線を持とうとしてる。

 カウンセリングは何回通っただろう。一度出来上がった思考を矯正するために、自分を一度焼いては叩いて試行錯誤してる途中。夏になったら少しは変わってるかなと思う。期待で遠くばかり見てる。近くに来てはつまずく。夏になって秋を待っているだろう。その頃には髪も伸びて、三時間後の自分くらいは予測できているだろうか。

深夜日記

 生活に嫌気が差すと、当たり前のことながら、生活を直視したくなく日記が書けない。こんなものは褒められるために書いているのではなく、粗を露呈するために書いているのだという気分になる。誹謗中傷されるために書いているのだとさえ思う。そもそもが人様には胸を張れない生活だ。ない胸を張って、切ったり張られたりしないことを祈るのみ。

 夜が明けてきている。この時間が好きでも嫌いでもないが、よく目にする夜明け前の藍色に対して、よく目にするがゆえの気を許すような寝ぼけた顔でぼんやりとカーテンを開ける。ここ最近、うまく眠れない。日付が変わる前に寝て、一時か三時には起きる。そのまま眠れないことを察知しながら、様々な呼吸法を一通り試し、眠れないことを結論付ける。それから布団を飛び出して、何をするでもなく食パンをモソモソと食べながら、カーテンの隙間からカーテンを開ける瞬間を待つ。この瞬間は人生みたいだ。思ったのとは違う瞬間にスタートを切らされて、これからに何かあると思って、今現在はなにするでもなく待っている。

 夜明け前の色は、閉鎖病棟を思い起こさせる。保護室ではカーテンすらなかった。病室に移ってからも、起きてしまうのでカーテンを開け放しにしていた。だんだん暗闇から明度の高いブルーになる瞬間。そこに救急車の赤色灯が回転しながら入ってきたりするといいのになあと思いながら、外を眺めている。なにかをしなければならないのに、今はまだしなくていいと、自分に都合のいい時間帯とぬるく付き合っている。暗く長いモラトリアムが明度を増すのはいつなのだろうか。食パンを食べながら待ち望んでいるというのに。