反日常系

日常派

入院日記

 雨が降っていたから、ほとんど自主的に病棟に閉鎖していた。食堂にいると大きな窓を押さえつけるみたいにして雨雲が張り付いている。朝にすることもなく、一旦外に出て、朝でもやっているスーパーに行った。子供たちが集団登校をしていて、うまく道を渡れなくて、何かを示唆する悪夢みたいだった。「ごめんねー」と声を出し、無理やり列を横切ると、歩いて傘からとび出た自分のつま先が濡れるのを見ていた子供が急いで立ち止まった。遠いスーパーでお茶を買い、帰ると、当たり前だが子供たちはいなくなっていて、ハーメルンの笛吹きみたいにどこかへ消えたのだと思うと面白かった。

 雨は昨日から降り続いている。雨雲が重く立ち込めている。特にすることもなく、特にしたいこともなく、特にできることもない。朝ごはんを食べて、お風呂に入って、集団療法に出て、誰に出すでもないポストカードを作った。「このポストカードは伝えたいこともないので公共施設にでも送り付けます」とあからさまな嘘をついた。「このカードはりんご農家の親戚に送り付けます」と自分だけがわかる嘘をついた。なんだか、すべてが今日の天気みたいな気分で、それを隠そうと力なく、力なくてもできる嘘の笑顔が張り付いた。軽薄に立ち止まる雨雲みたいだ。すぐに昼食になり、何を食べたかすら思い出せない。それから昼寝をして、カフェに出て人と話した。羅列するほどのことはあるけれど、羅列するほどのことしかない。すべてが等列に並んで、特筆すべき余談は特にない。日々の象徴のようだ。

 夕方、病棟医が来て薬を増やされる。前回の入院のように抗うつ剤ではないことか救いだ。

「何か合わないくすりとかある?」

「合わないわけではないですけれど、ベンゾジアゼピン系は自己管理が難しいです」

「わかりました」

 そう言って結局はベンゾジアゼピン系が増えた。大量に飲んで気持ちよくなる薬という認識しかないが、飲むことによって好転すれば良い。そして退院、減薬、乱調、何回か繰り返したことを、また未来の予想図として思い描くのはとてもつらい。

 医者が去った後、kindleを見ていたら、ねこぢる大全がkindle readingで読めることに気づいて上巻を読んだ。ねこぢるうどんは一巻しか読んだことがなく、巻を重ねるごとに(何も説明できていない言葉だとは思うが)シュールになっていき、残酷で半道徳的なというより、違う国の違う道徳の世界を見ている気持ちになった。エッセイ漫画も乗っていて、伝染病で閉鎖病棟に入院した時のことが書いてあった。このまま一生入院出来たらというようなことが書いてあり、ぼくはそこまでいけないなと思った。なにか、自分の世界が確立できていたなら、どんなに楽だろう。その世界へ逃げ込んでしまいたい。明日は四人部屋に移る。話してみた感じ、いい人もいる。しかし今は自分の周囲に人がいない時間がない明日を考えるとただただ気が滅入る。社会性か、自分の世界か。どちらもなく、薬が増える。社会性のいらない世界を覗こうと、錠剤を大量に飲み込むことがこれから先あるだろうか。