反日常系

日常派

切った髪を見せびらかしに

 今日も何もない日でした。しかし、何もない日を何もないで済ませるのはあまりにも芸がなく、かと言って嘘を作るには能がない。なので本当のことばかりを書く。

 ママは物事が良くなる兆しが見え、返事が返ってきた。不安になる度に、自分が人を不安にさせていることの重大さを考える。去年、ぼくは「致死量の薬を飲みました」とだけ言って、二週間以上連絡をつけなかったことがある。本当に致死量の薬を飲み、その結果閉鎖病棟に入っていたので、わざとでも嘘でもないが、その時のパパやママのことを考えると、胸が痛む。自分が傷つくより、人を傷つけたことの方が重大に思える。これは嫌われたくないという利己主義だと、感情にレッテルを貼る。深く考える前にやめる。

 昨日は髪の毛が急に鬱陶しくなり、また、かわいくなりたいという、自己否定からくるため答えが見つかるはずもないいつもの発作に負けて美容室を予約した。午前中をAmazonの受け取りとゲームで心許なく過ごす。うどんを湯掻いて食べる。ふらふらと歩いて、入ったこともない美容室に入る。ホットペッパーの初回割引に頼り、美容室の放牧民として流浪の民の生活を送っている。自分がみすぼらしく見える店内のあまりのお洒落さに目眩がした。牛の画像を見て心を休めた。したい髪型を伝えると、どこでも言われるように「それはまだ短いですね〜」と言われた。思ったより時間が経っていないのか、ぼくが生き急いでいるのか。そのどちらでもなく、ただぼくの髪型に関するあれこれの解像度が他人より低いだけなのだろうけど。一日一日を、老人がものを飲み込むように億劫にやり過ごしている。そんなんだから思ったより時間が経たない。同じ毎日のベルトコンベアに乗れば、のべ距離だけなら簡単に一番遠くに行けるのに、わざわざ迷って距離さえ稼げず、目的地もなくぐるぐる回っている。螺旋階段でもない。高く登れる訳でもない。

 家に帰り、鏡を見る。見慣れない自分が、粗暴な親戚のようにやけに気恥ずかしく思える。することもなく、メイクをする。家に帰ってからメイクをするなよと思うが、慣れない自分が路駐の車の窓に写ると恥ずかしくなって家に帰りたくなってしまうから仕方ない。外に出ようか悩み、髪を切ったとて、それを見せびらかす人もいない自分の生活に胡座をかく。誰か家に来てくれないだろうかと思う。交通費さえおぼつかない生活。一人で楽しもうと一人にばかり金を使う。そのせいで余計に独りになる。それからやはり外に出れずに風呂に入ってメイクを落とした。なんとなく、髪をブローすると、いい感じに思えて、前に髪の毛切った時に近くの古書店に行ったのを思い出した。古書店には図書委員の女の子をそのまま大人にしたような、生活感の溢れる美人さんがいる。ほとんど話したことはないのに、何時から店に出るかさえなんとなく把握してしまった。行こうかな。前に買ったジャズ関係の難しい本は、読む前に他の店でなかなかいい値段で売ってしまったけれど。行ってみようかな。髪を切ったことに気づいてほしいなんて、面倒くさい彼女みたいな気持ちをこれから落胆で発散させに行こうと思う。