反日常系

日常派

明後日入院の予定です

 今日、入院先の病院が昨日言ったように、直接通院先の病院に行き、紹介状を書いてもらった。「今から伺っても良いですか?」と入院先の病院に聞くと「土日の入院はやっていません」と言われ、今日一日が無駄になった。入院先の事務に聞くと、「先日もそう言ったと記録(手記)に残っているのですが……」と言われる。昨日何回も確認したが、今日が入院の予定だった。それが今では病床の調整すらついていないと言う。精神科の病院ではこういうことがよく起きる。客は気ちがいだし、何を言っても恐らく上司は部下の肩を持つだろう。看護師もそういうところがあるし、病院内は録画録音が禁止だからなんでも言える。現に看護師が病人に「死ぬなら外で死んでくれ」と言っていたのを見たことがある。「出してくれ」と訴える患者に、看護師が「そういうことを言っているうちは外に出せませんよ」と笑う光景もよく見た。ぼくはもう去勢されきってしまったというか、呆れてしまったので何も言うまいと「わかりました。病床の調整がついたら連絡をください」と言って電話を切ったが、金曜に警察から連絡が来て、入院の書類を書くために片道数時間をかけた母親からすると面白くない。母親は電話をかけ直して電話越しに怒っていた。ぼくはそれを眺めていた。母親から怒り方を学んでいるようでもあった。しかし、その怒りによって自分の立場が悪くなることも同時にわかっていた。やり返そうと思えば何でもやり返せる人間たちなのだ。最長三ヶ月のはずが半年以上、病棟から外出許可もなく幽閉された老人を見たことがある。大人しくさせる注射も、動けなくさせる拘束器具も、なんでもあるのだ。昔は鉄の檻だってあったのだ。

 数時間経ち、電話が折り返しかかってきた。「病床の調整がつきました。月曜日の午後一時半に来てください……それと……」ファックスされた紹介状に最近の酒量が増えたことが書いてあったらしく、今日からの禁酒を言い渡された。「お酒を飲まれていた場合、ベッドが変わってきますので……」ベッドが変わってきますのでと聞いて、思わず笑ってしまった。ベッドは二種類しかない。保護室か一般病室か、だ。部屋という意味なら、部屋は保護室、準保護室、有料個室(ここから一般の部屋となる)、四人部屋しかない。四人部屋は個室にお金を払わない、一番まともとされる人間が放り込まれる部屋なので、この「ベッドが変わってきますからね」という言葉には「なにもない保護室に放り込むことも可能ですよ」という意味が含まれている。というよりそれしか含まれていない。やっぱりぼくはどこまで行っても単なる一気ちがいでしかないのだ。ぼくは何も言わないことがぼくにできる唯一の気のちがっていないことだとわかっているので、「ありがとうございます。迷惑をかけました」と言った。

 その後、母と飯を食べた。父親の病状について聞くと、悪化の一途を辿っているらしい。ヒステリー性転感は医学的に解明されていないことも多いらしく、治る見込みはないだろうことも何となく察していた。父親はストレスに弱くなり、仕事場でぶっ倒れ、頭から血を流したこともあり、仕事場から「来ないでくれ」と言われたらしい。障害者手帳や年金を貰おうにも、解明されていない病気や、一応仕事に籍を残してあることで、福祉が有利に働くことは難しいそうだ。今では家で洗濯物を干すだけの、しかもそれがやっとという有り様の爺になっているらしい。元から炊事など出来るような人間ではなかったし、母親を揶揄することしかしていない人間だったのだ。今、たなか家は弟の障害者年金と母親のパートでなんとか生き延びているらしい。弟は障害者施設に毎日朝から夕方まで預けられている。父親がもう弟を見れないからだ。障害者施設はなかなか夜も見てもらえる枠が空くことがないため(老人ホームとは違い、障害者は若いときから死ぬときまでの長い間を看るので)、昼間見てもらうことは、全日の枠の予約にもなっている。しかし、全日を見てもらうということは障害者年金が家庭ではなく施設に渡ると言うことを意味しているらしく、たなか家の見通しは暗い。

 一瞬、「家に帰ろうか」という言葉が喉まででかかったが、二十数年間犬猿の仲だった父親とうまくいくはずがないと思い、言葉を飲み込んだ。今は言えないだろうが、ぼくの躁鬱がひどかったときに無理矢理働きに出された経験もある(初日で店長を殴りクビにされた)。気ちがいが三人集まっても母親の苦労が増えるだけだろう。父親は抗うつ薬のせいか、十キロ以上太り、今ではかつての面影は見ることはできないらしい。そのような父親を見る勇気がなかった。「死ね」と言われたこともある。大学進学の前に家のお金を使い込まれたこともある。「金を出したくない」と大学を辞めさせられたこともある。そんな父親が殴れば死ぬような、ただの爺になっているということを受け入れられなかった。恨み続けることができなくなりそうで怖かった。歩くこともたどたどしい老人を見て、「ぶっ殺す」と思えなかったら自分の人生の数割が消えてなくなりそうだった。自分の人生の数割は「ぶっ殺す」で出来ていた。巨悪は死ぬまで巨悪だと思っていた。いつまでもぶん殴ってもぴんぴんしていると思っていた。親と仲悪い人には警句のように「ぶん殴るなら今だぞ」と言っておきたい。恨むことがじゃれつくように軽く済むうちに。殴っても殴り返されるうちに殴っておかないと、何もできなくなる。無力さが人懐っこく、弱さゆえの優しさに、降伏になっていくだろう。そんな犬の腹を、掲げた白旗を見ていると、自分の人生の数割が行き場を失い腐っていくだろう。冷酷を決めかねているうちに、冷酷を必要としない復讐は出来なくなっていくのだろう。