反日常系

日常派

退院します

 文章を書き始めたのは、何も素晴らしい意図があったり、目覚ましい回復を遂げたからではなかった。病院で唯一喋れる人が外出していて暇だったとか、そろそろ退院だったとか、昨日友人の同人誌に寄稿してやって文章を書けることを確認したからとか、様々な偶然が重なってできたどうでもいい文章だった。

 一ヶ月が経って、ぼくを言葉で殺そうとしてきた大好きな人を「人からはひとつでも物を貰ったらそれでおしまいなんだよ」だとか、「深い関係を作らずに浅い関係を沢山作るようにしましょう」だとか、聞きあきた熱い正論をようやくいつか忘れてしまうのに喉元を過ぎさせて、そうしてようやく、その人をすごく大好きな人からすごく大好きだった人だったと思い込むことにした。今何してるのか知らない。何をしているのかも知りたくない。もう関わりたくない。その人の躁鬱の波で言葉で殺そうとしてきたのか、そうでないのかはわからないけれど、意思と病気の区別なんて難しい話をするつもりはないし、簡単に書けるブログなんだからあったことをわざわざ詳細に書く必要は無い。真実味に欠けても、ぼくは自分を守りたい。その人がまた気分の変調で仲良くしてきても、また気分の変調で殺そうとしてきても、ぼくは生きている自信が無い。だからその人から距離を置くことにした。ママはいなくなった。深い関係を浅くしていかなきゃいけない。死んでしまいたい。死んでしまいたくなる関係をまあいいかで終わる関係にしなければならなきゃいけない。

 難しいなあ。

 だからどうでもいいみなさん。仲良くしてください。ぼくを助けることが出来るのはどうでもいいあなた達なんです。あなた達に右腕を、左腕を、右足を、左足を、頭を持ってもらうことなんです。誰かが落とした時に死なないようにすることなんです。どうでもいいみなさん。仲良くしよう。会話でもキスでもしよう。どうでもいいくらいの。ぼくはしあさって退院です。殺さないでください。守ってください。

入院日記

 雨が降っていたから、ほとんど自主的に病棟に閉鎖していた。食堂にいると大きな窓を押さえつけるみたいにして雨雲が張り付いている。朝にすることもなく、一旦外に出て、朝でもやっているスーパーに行った。子供たちが集団登校をしていて、うまく道を渡れなくて、何かを示唆する悪夢みたいだった。「ごめんねー」と声を出し、無理やり列を横切ると、歩いて傘からとび出た自分のつま先が濡れるのを見ていた子供が急いで立ち止まった。遠いスーパーでお茶を買い、帰ると、当たり前だが子供たちはいなくなっていて、ハーメルンの笛吹きみたいにどこかへ消えたのだと思うと面白かった。

 雨は昨日から降り続いている。雨雲が重く立ち込めている。特にすることもなく、特にしたいこともなく、特にできることもない。朝ごはんを食べて、お風呂に入って、集団療法に出て、誰に出すでもないポストカードを作った。「このポストカードは伝えたいこともないので公共施設にでも送り付けます」とあからさまな嘘をついた。「このカードはりんご農家の親戚に送り付けます」と自分だけがわかる嘘をついた。なんだか、すべてが今日の天気みたいな気分で、それを隠そうと力なく、力なくてもできる嘘の笑顔が張り付いた。軽薄に立ち止まる雨雲みたいだ。すぐに昼食になり、何を食べたかすら思い出せない。それから昼寝をして、カフェに出て人と話した。羅列するほどのことはあるけれど、羅列するほどのことしかない。すべてが等列に並んで、特筆すべき余談は特にない。日々の象徴のようだ。

 夕方、病棟医が来て薬を増やされる。前回の入院のように抗うつ剤ではないことか救いだ。

「何か合わないくすりとかある?」

「合わないわけではないですけれど、ベンゾジアゼピン系は自己管理が難しいです」

「わかりました」

 そう言って結局はベンゾジアゼピン系が増えた。大量に飲んで気持ちよくなる薬という認識しかないが、飲むことによって好転すれば良い。そして退院、減薬、乱調、何回か繰り返したことを、また未来の予想図として思い描くのはとてもつらい。

 医者が去った後、kindleを見ていたら、ねこぢる大全がkindle readingで読めることに気づいて上巻を読んだ。ねこぢるうどんは一巻しか読んだことがなく、巻を重ねるごとに(何も説明できていない言葉だとは思うが)シュールになっていき、残酷で半道徳的なというより、違う国の違う道徳の世界を見ている気持ちになった。エッセイ漫画も乗っていて、伝染病で閉鎖病棟に入院した時のことが書いてあった。このまま一生入院出来たらというようなことが書いてあり、ぼくはそこまでいけないなと思った。なにか、自分の世界が確立できていたなら、どんなに楽だろう。その世界へ逃げ込んでしまいたい。明日は四人部屋に移る。話してみた感じ、いい人もいる。しかし今は自分の周囲に人がいない時間がない明日を考えるとただただ気が滅入る。社会性か、自分の世界か。どちらもなく、薬が増える。社会性のいらない世界を覗こうと、錠剤を大量に飲み込むことがこれから先あるだろうか。

疲弊

 疲弊している。特に何かしたわけではないのだが、特に何かしたわけではないということが自己嫌悪になって襲ってくる。体が重く、のろまでとんまな動きで右から左、左から右へと動き、外に出れば雨が降っていて引き返す。

 何もしていないのに疲れる。ぼくはこれを時代的なムードが疲弊なのだと、知識量の少なさからあえて断言してしまおうと思う。よくいわれていることだが、ミレニアムを過ぎてから、911が起きてから、すべてのムードがどっちらけになってしまった。向かうべきところはないのに、向かえと行進させられる。徒労のムード。物心ついた頃、911が起きた頃に六歳だったぼくが世代間のギャップについて語るのはいささかを超えて滑稽だが、今二十代のムードは何もしたくないという殻にこもるムードだと思う。目的がある世代ではないのだ、ちょうど、時間を潰すために生まれて、生まれたことで時間も生まれた。ぼくらよりもう少し下の世代もそうかもしれない。『終わりなき日常』が本当にきつい。

 『終わりなき日常』は入院生活のような、シェルター生活のような冷たさを持ってぼくらのすぐそばにいる。

 サミュエル・ベケットの『勝負の終わり』を思い出す。物がどんどんなくなっていく世界の終末で、最終的に何もなくなって終わる。チェスの終盤戦になぞらえてもいいだろう。そういう、ジリ貧のムード。なくなることはあるけれど、増えることはない。手に入らなかったものが手に入れたいもの。ほとほと疲れた。何もしていないのに。いや、何かしているのに、それを認めることができない。ただただストイックといえば聞こえのいい、自己肯定感の低さが一日を貶めて、そのせいでただただ落ち込んで疲労していく。

書き物が時間に干渉する世界

 春の陽気のせいで、氷たちは氷たちであったものたちに変質してしまい、氷たちであったものたちはコーヒーやお茶をコーヒーであったものたちやお茶であったものたちに変えてしまった。

「ねえ、どう思う?」

 私があなたに話しかけると、あなたはぶっきらぼう

「また小説の話? そんなの彼に聞いてみればいいじゃないか!」

と叫んだので嫌になってしまった。ここには二人しかいないというのに、あなたにはそういう屁理屈以下の妄言とも取れることを放言する癖がある。

「彼って誰よ」

「三人称単数、うーん、つまりはぼくでも君でもない、そして男性である個体のことだな」

「ねえ、『無神論』」

無神論』は急に話しかけられたために口ごもってしまった。

あなた「そんなしみったれたやつに話しかけるのはよせよ」

「そんな言い方はないんじゃない? それもト書きまで使って」

あなた「うるさい!」

 ト書きで喋られたので、私は宥める気力をすっかり無くしてしまった。あなたと出会ったのは私が六歳の頃だった。十年前。どのようにして出会ったのか、そして、六歳まではどのようにして過ごしていたのか、全く覚えていないが、幼少期というのは凡そそういうものだと相場が決まっている。六歳以降、幼馴染のような、命の恩人のような気がしてずっとくっついている。物心ついた頃から私とあなたは交際していて、そのことにさしたる疑問も持っていない。恐らく六歳の頃に何かしら大きな出来事があったのだろう。

 そんな無駄なことを考えていると、私の小説の中のかつてコーヒーであったものは、かつて氷であったもののせいで、かつてコーヒーであったものというよりかは、今からコーヒーになろうというものまで退行したかのようだ。お茶も同じく、薄まりきって、お茶ともお茶であったものとも言い難い薄さだ。

「ねえ、あなたのせいで私の小説の中のかつてコーヒーであったものとかつてお茶だったものがほとんど水になってしまってるんだけど」

「あなたのせい? 私のせいだろ? 君が無駄に回想なんか挟むから氷がかつて氷であったものに変わるんだ。そういう小説を書くなよ。耐用年数が短くなるだろ。氷なんか入れなきゃいいんだよ」

「つまり、あなたは私の小説の中のコーヒーが薄くても一向に構わないってわけね!」

あなた「ああ、そうさ」

 毅然とした態度で言い放った。それはわかりきっていることを答える優等生のようであったが、私にはいつものあなたにしか見えなかった。

「やめてよ。ねえ! ト書きやら神の視点やらで煙に巻くのはあなたの良くないくせよ」

「そうだな。改めるよ。じゃあ、昔の作品がどうなっているか見てみればいいじゃないか」

 

 私は彼に習って『風の歌を聴け』を開いてみた。老年の鼠がぬるくて気の抜けたビールに関するジョークを言っていた。

「だろ?」

 あなたは私の肩越しに『風の歌を聴け』を見て、言い放った。いつからこんなに険悪になり始めてしまったんだろう。

「そもそもだよ? そもそも君の小説には柔軟さと圧倒的強度が足りないんだよ」

「そもそもなんて持ち出すなら、この小説自体に強度がない気がするけれど?」

なんだと?!

「ほれ見なさい。作者が顔を出していいことなんてないのよ」

ということは君はこう言いたいわけだな? 作者が顔を出していいことなんてない、と!

「だからそう言ってるじゃないこのまぬけ!」

 そういうと、『無神論』はまぬけという言葉が自分に向けられたのだと思って、「くぅーん」と悲しげに短く高い鳴き声を漏らした。

 そうすると『闘争』や『希求』がその声を聞きつけてやってきた。『無神論』が攻撃されたのだと勘違いしたのだ。

『闘争』「お前か? 私っていうのは」

「そうだけれど、ト書きの時くらいは二重カギ括弧外した方がいいわよ。みっともない」

『闘争』「おお、そうか。ありがとう」

 そう言うと『闘争』は闘争になった。というより「かつて『闘争』であった概念」と呼んだ方がいいだろう。二重カギ括弧を外したことで、『闘争』固有の全てのものが霧散し、消えてしまったのだ。

『希求』「てめえ!」

「そんなつもりはなかったの。本当よ」

 さっきまで怯えていた『無神論』は『闘争』が「かつて『闘争』であった概念」になった場所をぼんやりと眺めていたが、そのうち『闘争』が「かつて『闘争』であった概念」になった場所に歩き寄り、残り香を嗅いだ。そのうち、なぜ自分がそんなことをしているのかを忘れてしまい、自分の尻尾を追いかけてくるくる回る遊びに夢中になった。

『希求』「大声を出してごめんよ。なんで怒ってたんだっけ」

「わからないけれど、さして大切な物事でもなかったのよ。きっとね」

ぼくは覚えているがね。君は『闘争』を「かつて『闘争』であった概念」に変えてしまったんだ。そのために彼は死んでしまった。

『希求』「てめえ!」

 すべてではなく、覚えていることも少ないながら、なんとなく義務感に駆られて『希求』は叫んだ。

「そんなつもりはなかったの。本当よ」

 さっきまで怯えていた『無神論』は『闘争』が「かつて『闘争』であった概念」になった場所をぼんやりと眺めていたが、そのうち『闘争』が「かつて『闘争』であった概念」になった場所の匂いを嗅いだ。そうしていると、なぜ自分がそんなことをしているのかを忘れてしまい、自分の尻尾を追いかけてくるくる回る遊びに夢中になった。

「さっきと同じじゃないのよ! このまぬけ! 『無神論』!」

ぼくを『無神論』だなんて言ったな! 後悔させてやる!

『希求』はインカムで精神科医に私の拘束許可を取った。精神科医は西棟三階に急いで駆け上がり、許可の紙を書いた。

『希求』「ここは精神科病棟だったの?」

「いえ、私の部屋だったはず。やめてくれない? さっき罵倒されたからと言って作品を無理にねじ曲げるのは」

 精神科医と看護師は五、六人がかりにして私をベッドの柵にくくりつけた。

どうだい?

「最低の気分ね」

そいつはよかった。君はずっとこのままでいるのさ。

 『希求』は作者のあまりの横暴さに口をあんぐりさせていた。私は不安になって探したけれど、どこにもあなたの姿が見つからない。そうしていると急に。

作者は首を切って死んでしまった。あまりの速さに、そばにいた精神科医が拍手をしたくらいだった。一太刀で首の半分を切り、血が吹き出して死んでしまった。

 一部始終を繋がれたまま見ていると、あなたがどこからともなくやってきた。

「間に合ったか」

「遅い。なにしてたのよ」

「なにしてたって、見ればわかるだろ。新しく小説を書き足してたんだよ。」

作者の筋肉が痙攣して、ぴくぴくと動いた。

「ねえ、こういうのってあまり趣味がいいとは言えないと思うけど?」

「こうする他なかったんだ」

「私はどうするのよ。拘束されたままじゃない! このままじゃ衰弱して死ぬわよ!」

あなた「ちょっと待ってて」

 そういうとあなたはどこかへ消えてしまった。

時間が十年ほど巻き戻った。

 なんだかなん十年もたったような、とけいのながいはりが3から5までうごいただけみたいな、きもちがした。

 そうすると、おとこのこがこっちにむかってあるいてきた。

「もううごけるでしょ。あそぼ」

 おとこのこがなにをいってるのかわからないけれど、からだはうごかせた。へんなひもをうでとあしからはずすと、なんだかうれしくなっておとこのこにだきついた。おとこのこがわたしをたすけてくれたのだろう。

「ねえ、なまえなんていうの?」

「あなた」

「へんななまえー」

「きみのなまえは『私』おぼえておくんだよ」

「はーい。私、あなたのこいびとでいいわよね」

「もちろん!」

 

二人の知らないところで、二人を知らないぼくはいつか傑作を書くのだと息巻いていた。

入院している

 入院している。それについての些事を事細かに説明のような文章で描写するのはやめておこうと思う。そもそも、何を書くべきかさえ検討がつかないのだ。病名がまさかの解離性障害だったこととか、入院のための検査はあまりにもめんどうなのでそれは見たことのない儀式のように思えたこととか、入院患者と話すことができたこととか。すべて語る意味はあるのだろうと思うけれど、語る労力、そして語った後に残る意味を考えるとどうも萎えてしまうのだった。つまるところ、ぼくは調子が悪いという結論に達した。ぼくの書くものは常に日常とその半径、つまりは視野と同義だから、見る物が変わればまた新しくものが書ける。はずなのだ。うまくものを書くことが出来ないというより、うまくものを書こうと思うことが出来ない。なんだか疲労感でいっぱいで、何をするにも億劫だ。入院の日、通勤ラッシュの時間に外に出たからだろうか。二十一時消灯の病院のリズムに慣れていないからだろうか。なににしろ、喉に血反吐がこびりついて不快感をもたらすような気分だ。人々は素晴らしい。ぼくだけの気分が上手に上を向かない。こんなに恵まれているのに上を向けないことに罪悪感に苛まれる。優しい人達の目がみんなしてぼくが上を向くのを待っている気がして焦ってしまう。当分は何も考えたくない。