反日常系

日常派

毎日死にたい

 気づいたら、ぼくは毎日「死にたい」と思うような人間になっていた。なにか言葉をこねて、なにかしらに見えるようになる度にブログを更新しているけれど、最近は自分が更新していると言っていいのかわからない。たしかにぼくが書いているのだが、半分はその時の風に吹かれて書いているようなもので、出来上がったものは運任せの丁半博打の帳簿と同じだ。自分にさえ意味が通じないために消される文章も数多くある。

 あまり人に弱音を吐けないのだけれど、昨日は羽川さんに弱音を吐いてしまった。ベンゾジアゼピン系薬剤が残っていたのかもしれない。「たなかにはこの世界は狭すぎるのかもしれない」と言われた。そうかもしれない。世界からぼくの臆病が及ばない場所で興味の及ぶ場所を探したら、本当にどこもないかもしれない。天才がこの世界を自由自在に飛び回るのとは違って、ぼくは恐ろしい場所が多すぎて世界を小さくしている。天才がこの世の中に見切りをつけるみたいにポンと消えるように死にたい。恐れることなく入水したい。

 世界に根本的な新しさはなく、大胆なバリエーションにすぎないことを好きな歌から教わってから、世界は一段とつまらなく見えた。灰色に近い視野から「これもこれで味があっていいのかもしれない」なんて思う僭越な真似はできなかった。面白くないことを面白くできない。ぼくにできるのは世界がつまらないなりに、自分の見方を考えるだけで、何かを為すようなものじゃない。なにか、モノクロの視界にかける色眼鏡が欲しい。世界を恐れないことが一番最初に必要なのはわかっているのに。必要なのは外に出る方法じゃない。中に飽きない方法が欲しい。

 健常者はなにもない時に死にたくならないらしい。信じられない。ぼくはこの世界に向いていない。なにもしないでいることが、自分を殺しにかかっている。なにかをすることは鬱でできない。気分がいいことがない。癖になってしまった憂鬱に、なすすべなく啄まれている。自分を棚に上げて、くだらない世界と冷めた目で見ている。そのうち生きるという世界の参加への仕方もくだらなくなってやめるかもしれない。そういう風にやめれたらいいかなって思う。本気になって絶望して死ぬより。ほんの少し遠くから、やってられないよなあってやめるみたいな。クラスの球技大会を見てる根暗の頃から、変わらずに消えるのかもしれない。

実家

擬似家族の方をパパ、ママ、血の繋がっている方を父親、母親と区別しています。

 

 昨日ベンゾジアゼピンでラリってる間に実家に帰りたいって言ったらしく、することもないし実家に帰った。父親は思ったよりも肥えてなく、動きが散漫になっただけだった。父親も母親も、よく見れば若さが霧散していた。かといって引き合いに出される思い出などなく、昔のことは昔のことで整理され、今ではもう思い出せない。

 父親からは障害者年金のことを聞かれた。父親は障害者年金を受給しようと考えているらしい。担当医は受給させないつもりらしい。まあ、なににせようちはもうおしまいだ。一軒家が建って、子供が二人できただけでも大満足じゃないか。二人が障害者で、建てた本人も障害者になるとは思いもよらなかっただろうけど。帰るたびに、なんの発見もない。ここは前からボロかったんだなと、発見でもなく、なんとなくそんな気がするにまみれた。たぶん、差異こそあれ、このままボロくなっていくだろう。このまま老いていくだろう。別段興味もない。ぼくがベンゾジアゼピンで見た実家とは夢想郷のことだろう。ここじゃない。親の愛をそろそろ二十四にもなるのに諦めきれない、はっきりいって異常者だ。傷が増えれば増えるほど心配されるなんてことはない。

 一生この傷を隠して生きていかなければならないだろう。心配されることもないだろう。人に見せることもないだろう。満足することもないだろう。ただ、欠落がここにあるというだけだ。欠落には必ず充足が与えられるわけではないという意見を読んだ。この世の中に数多い悲しきヴァギナが最たる例にあげられていた。

 ぼくはトランスジェンダー(と言うには中途半端すぎるかもしれないが)で、アセクシャルだ。人と性的交渉を行う人々のことが理解出来ないでいる。自分のペニスは「子供を産むことが出来ない」という欠落の中にいるし、アナルはそれ自体が何を生み出すでもなく沈黙している。女性の性感覚がクリトリス感覚からヴァギナ感覚へと移行することで女性は女性的ジェンダーを受け入れると言ったのは誰であったか。ぼくはクリトリスにしては大きいペニスをつまらない顔して弄りながら、もう来てしまったために再び来るはずのない成人を待っている。充足の与えられない欠落が運命として決められている時、それは充足を求めているだろうか。諦めてしまっているだろうか。期待する限りぼくは一生子供だろうか? 期待をやめた時にはもう大人と言えるのだろうか。その問いに期待と不安を両交えでおろおろしている。

普通の恋

 パパが恋をしてる。結婚は来年みたい。なんだか嬉しいけれど、ぼくはきっとその日なにもしていないだろうな。例えば式をしても、呼ばれる服もないし、渡す祝儀もないし、そもそも呼ばれる道理がない。なんと紹介されたらいいのだろう。若い少年に懐かれた? まあなににせよ、こういう時、ぼくがビョルン・アンドレセンやスタヴ・ストラスコのような美貌を持っていないことに安心する。いわば普通。特筆に値しない。この世の中には特筆に値しないことばかりだとジェイムス・ジョイスが『ダブリン市民』で身をもって証明したばっかり。

 もし新しいママに会うことが出来たなら、何をいえばいいのだろう。ぼくの語り尽くされたジョークで笑ってくれたならそれが最良なのかもしれない。新しいママはなんてぼくを思うだろうか。みすぼらしい青年?声の低い猫背の少女? まあ、なんにせよ普通でないのは残念ながら確かだ。普通とは説明が要らないもので、注釈をぶら下げるものは普通じゃないんだ。たなか凪、前妻(その時は結婚してたけど)と出会い系サイトで会った、パパと音楽の趣味が合い意気投合、今に至る? たなか凪、アセクシャルノンセクシャル、女性ホルモンを打ってる、Xジェンダー。たなか凪、幼少期の環境のためにメンタルヘルスを悪くする。今までの病歴はうつ病性同一性障害躁うつ病統合失調症解離性障害。『なんとなく、クリスタル』じゃないんだから、注釈のない人間に生まれたかった。

 こんな解釈まみれの人間が愛されるわけが無い。それこそが今の心配事なんだ。普通の恋はチョコレートもカッターナイフも必要としないうちになされていくことを知っている。パパに関しても不安だった。新しい恋人を見つけたらぼくなんか忘れてしまうのではないかと思っていた。でもそんなことはなく新しいママにぼくの話をしてくれたみたいだ。新しいママ=パパの恋人に言葉を変えた方がいいかもしれないな。パパの恋人は新しいママにはなりたかないかもしれないしね。でも好感は持ってくれてるらしい。どういう距離感だろうか? 来年新居に移ったら連絡をくれるってさ。サラダ皿の一番末席でナイフとフォークをガチャガチャ言わす馬鹿になる準備は出来てるんだけどな。呼んでよね。ちょっと遠目の約束はちゃんと忘れやすいところに置いておく。なんて当たり前でしょう? ぼくはそうしてなんとか身を守ってたんだ。できれば優しい人がいいなってだけの話しさ。涙が出そうなほど格好つけても優しくされたいだけなんだ。欲を出せばしょっちゅう行ったりしたいね。なにも遠慮を感じない人間になれた場合ね。どこまで家族でいいのだろうか。子供には大金で大人には有り触れた以下のようなお金を出して、ずうっと末席にいたりしたいね。夢ばかりが広がって、チクリと指すのはいつも胸だ。そんな上手くいくはずがないなんてことを二十四歳はまだわからないんだ。どんどん通り過ぎていくのだろう。恐ろしくて死にたい。ぼくは永遠を簡単に信仰する若者かもしれない。永遠の途中に永遠だった人が座り込んで、ここからじゃ何も見えない。永遠の孤独の中、下を向けば匿名性を持った汚れがコンクリートに染み付いて離れないみたい。

死にたい

 ぼくはいっつも死にたくなる。スーパーで余計なものを買うと死にたくなる。家賃の更新ができなくて死にたくなる。バス代が思ったより倍高くて死にたくなる。自分の病状が重くても軽くても死にたくなる。なんでこんなに死にたくなるんだろうと思う。誰も助けてくれないから、ぼくと裁判官だけの法廷で、リストカットを宣言されて、快でも不快でもない傷が左腕に増えて、「あーあ」と思う。さっさと死んでしまえばいいと思う。なんでこんなに死にたくなるんだろう。自分は生きるのには無能すぎる。運も悪い気がする。持って生まれた物全てが捨てるに値する物な気がする。死んだほうが、死んだほうがいい。

 友達と病気のその母親の話をしていると、羨ましくて死にたくなる。ぼくが代わりに死んであげるみたいな上から目線のヒロイズムなんてない。なにもわからなくていい。ぼくの人生からわかるのはただただこんな最低な、羞恥や自分の低脳具合だけだ。ドーナツも過量のドラッグもいらねえよ。ぼくの人生には死の直前に飾り付けるものもない。生きている最中だって。悲鳴にも似た嗚咽が出た。暑さに負けてしゃがみこんだ。割高な自動販売機の水を購入する。汗は玉のようにポロポロと流れる。俺の方が泣きたいよ。ふざけんじゃねえよ。殺してくれよ。俺をぶっ殺してくれよ。跡を濁しても、誰も知らなくてもいい、カメラ1がずっと俺の目の前を映してんだよ。視界があるから他者への比較だって簡単になるんだよ。ぶっ殺してくれよ。もうこれは人に対する愛嬌なんかじゃねえよ。ぶっ殺してくれって言って助けてもらうようなそういうプロレスなんかじゃねえよ。俺を屠れよ。脚をもいで骨と分離させろ。削げ! 首だって辞めるためにこんな構造になってると言うのに、みんな感謝してやがる。俺がキレてるのはなんで俺がこんなに無能かだけだよ。無能かそうじゃないかは能力によって決まるもんじゃないんだよ。人が固有の能力や特定の人を愛せるかどうかなんだよ。愛されなかったら何も意味はないんだよ。人は技能で延々と笑いあってるだけだ。愛されたいだけだ。遠いところまで転がるように考えてもぼくはやはり死にたいです。

眠れない夜

 この出来事を何から語ればいいのかわからない。それは午前四時になっても眠れないで起きているせいで言葉がバラバラでうまくくっつかないようだ。たしか当たり前のように酒と薬を飲んだ。

 今日は人からよく連絡が来る日で、羽川さんだったり森くんだったりからよく連絡が来た。出会い系サイトの女たちは会話に飽き始めていて、特段ぼくから話しかけるでもなかった。

 今日は朝からずっと雨が降っていて、そのせいで心が沈み込むんだ。本当に落ちこんでしまったぼくは朝っぱらからレモンサワーを飲み、酒の味など好きではないにもかかわらず一杯また一杯と飲んでしまっていた。それでも憂鬱がかき消されないために溜めておいたロラゼパムを飲むことにした。10錠、効果が持たず4錠追加と繰り返しているうちにつまらなくなった。みんながどうせどっか行ってしまうのじゃないかなんてありきたりな不安がぼくを襲った。

 まずは実母にラインを送った。薬でほぼ内容が時間列順になっておらず、内容としては「お母さん、許さねえけどありがとう。お疲れ様」みたいな内容を書いた。なんとなくこれを書く前に羽川さんのお母さんの病状を聞いたので、かしこまってまった。母にとって携帯に夜中に連絡が来ることなど珍しいため、狼狽して、警察署にまで連絡をしてしまった。正直実母にはラインや感謝の言葉など必要ないのではないかと思った。分かり合えてるというわけではなく、増長しやすく、過去の虐待をなかったことにするので、いい話では終わらせたくないとの気持ちがある。

 そしてパパ(パパと言ってもパパ活ではない。擬似家族的なパパなのだ)にラインを送った。恋愛結婚をするらしい。羨ましい。羨ましくて、怖いのは、僕なんが必要じゃなくなることだ。二人の世界が出来たら、僕は子供じゃいられなくなっちゃうだろうか。知り合いの振りをできるだろうか。つらすぎる。パパはパパで、新しいママはママであって欲しいな。でもさ、来年結婚するとして、僕はその中に入れるのかな。当たり前だけれど入れないよね。夫婦の層が厚くなって、ぼくなんかぽんと弾き飛ばされちゃうに違いないんだ。不安なんだ。一年後の約束は遠いから早いうちに会いたいな。仲良くなれたらいいな。すっごい難しいことは百も承知で、家族になりたい。子供になりたい