反日常系

日常派

ひやとい #novel

 日雇いの給料は大体時給千円、七時間働くとして七千円、私は田舎に住んでいるから交通費が往復で二千五百円だ。純利益は四千五百円。交通費の出る仕事は都会の人間に回る。もしくはこっちに回ってきても出る交通費は千円までだ。朝は五時に起きる。電車は五時四十分に来る。七時四十分の送迎バスに乗り、九時三十分には始業。終わるのは十八時、それからバスを待ち、バスによるが駅に着くのはだいたい十九時を回っている。そんな日をやっとの事で月に六日前後こなしている。二万七千円。昼飯を食いに出かけるからだいたい二万三、四千円がのこる。

 一方支出は携帯料金が七千円、心療内科が交通費含めたら一万円、三千円ぶん女性ホルモン剤を買って、残りの三千円で何ができよう。障害者年金はおりなかった。五万九千円あったら、すぐにでも引っ越してやる。ホルモン剤を注射に変える。

 大学は親に中退させられた。本人都合ということになっている。私は未来が全く見えないくせに、奨学金の紙はしっかりと十年後二十年後を見据えている。奨学金は十月から支払いが始まる。一万七千円。年金は払えなかった。猶予してもらっている。

 どうやって生きろというのだ。当日、または翌日、がぎりぎりだ。今週の調子などわからない。これでアルバイトに就けるだろうか? 手首にも首にも傷があっても良い、明日だけで良い、そんな場所は日雇いにしかなかった。背中を押され飛び落ちて、セーフティネットからも漏れたが、ぶち当たった都市もしくは田舎の釜の底では死ねなかった。親に借金が十万ある。どうやって生きよう。私は生きているのか? 乱雑な手捌きで、管をつないで、点滴を打っているのではないか? セルフな延命治療で、いたずらに寿命を縮めているだけではないか? 私の視野が広ければ、公的な延命治療を受け、安泰な生活を送れているのではないか?

 

 うつ病も、性同一性障害も、PTSDも、なんの意味をなすのだ。タグと同じだ。区別のためだけだ。この三つは私に何ももたらさなかった。それぞれ「それは世間一般ではマイナスだ」という刻印を私に残し、金も何も残さなかった。それぞれの医師学会は偉そうに儀式みたいな診断基準と治療方針を決めた。私にはスピリチュアルだなとしか思えない。働こうと思えば調子による、働けば呼ばれるのは男の名前だ、体を売ればフラッシュバックで何もできない。これをどうしろという。国はどうにかしろという。ポスターを作り、自殺はいけないと言う。そんなのイノリと同じだ。タマシイの調子を整えるなんてのと同じだ。カミサマの機嫌を伺うなんてのと同じだ。薬はハイになる。私の信仰対象だ。わたしは働いた後、電車に揺られながら薬を過量服薬する。心療内科でもらった薬がなければ咳止めブロン。唯一、遠くへ行ける瞬間だ。でも電車は家に向かっている。片田舎へ走っている。私は一人暮らしができて、大学に行けて、バンドをやっていて、スカートを履けた数年前が幻のように思える。家に帰るために歩く。私はTEISCOのプリアンプのことを考える。今一番欲しいものだ。でも買えるわけがなかった。一万二千円がどこにあると言うのだ。ビザールギターが一個欲しかった。高円寺まで行って四万五千円。スタジオに行って音を出したかった。一番広い部屋二千円。どこにそんな金があると言うのだ。夢を見てる。私は死ぬほど夢を見てる。バンドをやりたい。学会の儀式に沿って睾丸を切り落としたい。一人暮らしをしたい。若者は夢を見ないのではない。夢を搾取されているのだ。

 名前を変えたい。日雇いはバスに乗る前に名簿と人員の合わせのためにフルネームを言わなければならないのだ。改名のためには少なくとも半年、名前を使ったという証拠がいる。そんなの、この家にいては無理だ。名前を女性名に変えたお薬手帳は破られた。宛先を女性名に変えた宅配便はゴミに捨てられた。私の名前は不良漫画から、適当に取ったという。それならそこまで執着しないで欲しいと思う。

 

 

 家の鍵をこっそり開け、ひっそり風呂に入る。一般人から障害者に飛び降りたくらいでは死ねない。国のスカスカな網に掬われず、家の網に絡まって、イノリの教育で死んではいけないと言われ、死ねばそれは悲しいことです。

 悲しいけれど、悲しいことがしたい。