反日常系

日常派

あいもかわらずお久しぶりです。

 久しぶりに文章を書きます。文章を考える頭、文章にフィードバックできる出来事、何一つとして存在しない。この文章を書くには老婆のタイピングより遅い腕が使われている。頭の中が粘土みたいで、感動する能力さえない。オーロラも皆既月食も、今は見たくもない。この数文を打つのにも、誤字脱字ばかりで、頭がしっかりと退化していることがわかる。

 昨日ブロンと処方箋のチャンポンをして、八時間生放送(キャス)をして、やっぱりぼくはぼくのことが好きだなあと思った。インカメに写る自分の顔に話しかけてたら元気になった。ブロン三十錠かと思ったがいつのまにか六十錠すべて飲みきってしまった。ふわふわなのかしゃっきりなのか、どっちみちそんなにすばらしい効きはなかった。ベンゾ系をたくさん飲むといつも来る多幸感ゆえの幼児退行ができて嬉しかった。あとは記憶がない。いつ寝ていつ起きたのか。食パンはいつ吐瀉物になったのか。

 

 そういえば七月に入る前くらいに、リストカットをした。今、ぼくは(ブロンの過量服薬のため)ほぼ徹夜状態なので、あまり文章をうまくかけない。助かりたいです。助けてください。助かるうちが花ならば枯れ葉のように朽ちていくだけ。助けてください。今のままでは金がなくなるまでブロンをやって、野垂れ死にを選択してしまうと思います。これほど文章から、言葉から、単語から、遠ざかったことがありませんでした。今の私はスマートフォンにかじりつき、その癖に早い文章は読めず、一行のひらがなの文を何回も読み直して、ようやく言葉の意味がわかる。本当の白痴になってしまった。数秒前のことを忘れてしまう。

 どうか誰か助けてください。金銭ではなく、人と会うということがしたいです。世間一般が、僕より数倍は頭がいい戦場で、ぼくはどうやって生きていけばいいんでしょうか。

 

 あと思い付いたことを徒然と書く。バーの客がかっこいいバンドをやっていた。マスターが「君ら(ぼくとやむ)の歌詞には伝えたいことがないでしょ」と言ってきた。ぼくは伝えたいことはないけど表現したいことはあると思う。歌詞で伝えたいことってなんなのだろう。ぼくは文章の人間だけれど、歌詞というのは感情の発露だと思う。そもそも音楽における文章ってどういう位置付けなのだろう。わざわざ伝えたいことをこしらえてバンドをやることを考えると本当にめんどくさく思える。うーむ。話がまとまらないけれど、バンドが表現をするときに他者を考えるグループと、作品を練るときに自分の箱庭を考えるグループに二分されるのではないかと思える。