反日常系

日常派

生きるのやめたい

 生きる意味がないことは生きる意味になり得ると書いたのはシオランだったか。入院中の新聞にそんなことが書いてあったような気がする。ぼくは最近いろんなことをしているが、何一つ満足にできた気がせず、ただただ自己嫌悪をこじらせてる。日々の記憶が本当になく、自傷をしても自傷をする理由が皆目見当がつかない。気づけば人との通話記録があり、ごみ袋には大量の薬のカスがある。ぼんやりしていると手首から血を流していて、ゴミ箱の底で血がプルプルと固まり始めていた。

 やりたいことをやっているのだろうか。何一つとして満足にはできず、毎回努力の必要性と根性のなさを思い知る。六月十九日に思い立ってバスに乗り太宰治の墓まで行った。桜桃忌だ。太宰治の墓を囲む老人たちを見ていると、なんだか泣きそうになった。ぼくもこうやって、何も成し遂げられないながらも、好きなものを好きで生きていくのだろうか。片言の外人に太宰治のうんちくを話す老人の顔がどことなく得意気に見えた。人が多く、まるでいたずらかのように桜桃が墓を囲み、墓の窪みにまで桜桃は押し付けられていた。老人が墓の前で延々、論を打っている。友人か知人と延々墓を前に食っちゃべっている。暑さと人々に辟易して、遠目から墓を眺めて一礼して帰った。何も得たものはなかった。桜桃を墓前に捧げる感傷もなく、家で生ぬるくなった桜桃をほじくりながら食べた。

 気づいたらほとんど物を食べない生活をしていたので、食費が余った。気になっていた化粧品を買った。何回か期待を持ちながら顔で遊んでいると、幾度の失敗でやる気が失せてしまった。手を施せば施すほど、我が顔はピエロの様相を呈すので、なにもしない方がましだと思った。

 友達とバーに行った。なぜか「バンドをやっているの?」と良く聞かれる。その度に「何かはしているでしょう? まさか何も?」という嘲笑を感じ取って体がうまく動かなくなった。顔はにやにやと軽薄な笑みを浮かべて、話題が去ることを待っていた。友人は「組んだばっかりですけどね」と言った。別れた後、友人と練習の日にちを詰めようとしたら、「次の休みは予定があって、来月はまだ休みがわからないんだよね」と言われた。久しぶりに聴く自分の曲は、正直言って恥ずかしかった。

 酒の勢いで疑似家族の父親にラインした。酒の力を借りなければ、恐らく返事が返ってこないということを受け止められなかった。精一杯のなんてことない文面は二行だった。未だに既読はついていない。

 

 何も生きる意味がない。しらみつぶしに諦めるような日々だ。さっさと死んでしまいたい。最近になって、貝印の安全カミソリの切れ味を知った。刃の浅さから信用できていなかったのだ。手首を切ったら簡単に脂肪の層まで力もなく切れたのですごいと思った。今度は貝印で首を切ってみようかしらん。子供がエアガンもって威張り散らすみたいな、脅しのような自殺計画を話すときだけ、ぼくは元気なようである。携帯電話を投げ飛ばしておかなくちゃならない。誰にも知られずに死にたい。もうぼくの生きる意味はどこにもない。閉鎖病棟にも保護室にもなんにもないから、入る意味はもうない。学ぶ意味はもうない。喋る意味はもうない。どうせ生きていても無意味ということで死の無意味と裏返してシオランは語ったのだろうか。何にせよ、言葉を弄する人の言葉は時おり言葉の位置や選択が本意になって無意味になることがある。全部無意味、このブログも。人生も。無意味性ゆえに続いているとも言える。悲しくなるくらい恥ずかしいことに。