反日常系

日常派

クリシェをなくして

 一応幸せだから、本当のことをそのまま語って、真であるということだけが価値のある文章を書くことができない。

 自分を嫌っても、そういうふうなていでも、顔色を窺われたらと思うと、明るい顔を作る。

 いつもはこういう風で自分が嫌いですと書いて終わりにする。その気持ちはいつでも忘れたりできないけれど、ぼくの顔色を見て気分が上下する人がいると思うと、まばたきの回数やベロの位置を気にしてぎこちなく笑顔を作る。

 ぼくは病気だから、意味もなく死にたくなるんです。そのことがなかなか理解されない。春の風にあてられても、家の中に陽の光が舞い込んでも、それらとは全く関係なく、ぼくは死にたくなるんです。もはや、ぼくの心は断絶して駄目になっちゃってるみたいだ。それでも地獄耳みたいに悪い知らせを聞きつけて、横たわってどかないタナトスは首を伸ばし、キョロキョロと周りを見て、宅急便を取りに行くみたいな早足で外の世界から悪い知らせや悪いものの見方を受け取り、自身を強く大きくするために食べ散らかす時がある。

 不感症というより不能とでも言ったほうがいいぼくの脳みそは不能のチンポみたいに、喜びを捨て、生活の繰り返しの中だけに存在を溶け込ませようとしている。

 何も真だという話ができない。リアリティは細部のリアルに宿るが、ぼくは生活の細部を描き、その羅列によってリアリティを獲得し、真であるという点のみ鑑賞に値しようとしている。していた。なにも細部を嗅ぎとろうとできていない。ぼくの鼻は詰まっているみたいだ。抽象的な話で、それでも全体的に陰鬱な雰囲気を出そうと、いつものクリシェを持ってきてはなんか違うと放り出す。

 辛いことを言ったらあの娘を心配させるかなと思う。心配させることをわかっていて、心配させようとすることは本当に下劣なことだけど、たった一日眠れば忘れるようなタナトスがこの日にしがみついて、それでいて物を書けとうるさい。生活の中の孤独から、人の中の孤独に移った憂鬱の転居が辛いのかもしれない。ぼくはなにもわからない。病気だけがぼくの不調の理由を知っていて、病気本人の気まぐれだったりもする。

 だからどうか放っておいてください。生活が変わり、今までのクリシェをなくして、新しいテンプレートを探して憂鬱にあてがってる最中。言葉が自分のことを救ってくれるとは思えないけれど、せめてぼくは感傷に飲み込まれて酔っ払ってしまいたい。助かろうとはあまりにも恥ずかしくて言えない。