反日常系

日常派

通院先がようやく決まる

 ようやく通院先が決まる。それだけでとても嬉しく、嬉しいと思うことの程度の低さ、すなわちいかに日々が低空飛行で空と地面をすり合わせてなあなあにしているかについてを考える。病状の悪さ。人から人以下の扱いを受ける半死人。人の扱いを受けるだけでその人がとても優しく、菩薩のようにさえ思われる。

 医者は若い女性だった。十時の予約を取っておきながら十時半にその医者は来た。それから数人の診察を待って、部屋に呼ばれる。人生は待ってばかりだ。医者を待ち、薬を待ち、薬を飲むのを待つ。しかし、人生が待ってばかりなら、待つことは生きることだ。それがいいか悪いかに関わらず……。ともかく、保留の中に俺はいた。人が生きるということは保留の中にいることである。神の存在を信じるなら尚更、結論のために偉大なる保留をあくせくと善行を積むことに終始する羽目になる。神を信じていなくても、人はいずれ死ぬ。神のために生きていなくても、人は無意識に終わりまで後何年かをうっすら指折り数えている。兎にも角にも、そんなことを考えて俺は医者が自分を呼ぶのを待った。

「入院設備もあるのに断るなんて酷いですよね」

 医者は自分の境遇に少なからず同情的であるようだった。前の病院のように頭ごなしに否定されないだけありがたかった。自分の病状の話になると自分は聴き慣れた歌を歌うかのようにすらすらと話し始めた。性自認の事、様々なことを忘れすぎるという事、気分の上下、今までした自傷行為、自殺企図……。悲しかったのは致死量の薬を飲んだという話を信じて貰えなかったことだ。

「デキストルメトルファンを致死量飲んでみたことがあるんですよ」

「それはどうして?」

「好奇心です。死なないだろうと思ってましたから」

「死ななかったでしょう?」

「地獄は見ましたけどね」

「ははは……」

 俺は本当に致死量の薬を飲んだ。2000mgが致死量なところを3000mg飲んだのだ。そのまま放っておかれたら死んでいただろうと思う。いや、死んでいた。救急車で運ばれ、処置をされたにも関わらず、一週間も体の自由がきかなかったのだ。医者は信じないかもしれないが、市販薬でも死のうと思えば死ねる。しかし、一番悲しいのは自分が自分をいかに蔑ろにしていたかしか自分のことを真に迫るように話すことができないことだ。自分が障害者に値するだろうか、自分は何かしら他人が定めた歪みの分類に入ることができるだろうか。わからない。しかし、他人が定めた歪みの分類に属することができるのならば、少しは自分の奇妙さが和らいだ気がして落ち着く。病気なのだから仕方ないと思われたい。自分が選択していく人生なのだが、選択肢を思いつくことができないならば、または選択を自分ではない要因で間違ってしまうならば……。そういった意味では、今回通院先が見つかったのはとても幸いだった。病院がなければ、障害者はいなくなってしまう。他者の目がなければ自分が存在できないのと同じように、自己の認識だけでは障害も存在できない。看板を立てて、今日から店を開きましたというのとは訳が違うのだ。これからこの病院に通院することになるだろう。治りたくないという意味ではなく、障害者であり続けたいと思う。障害者に甘んじて、少しでも自分の想像上の他者からの批判や揶揄に耐え抜いていきたい。