反日常系

日常派

日記

 夜中になれば死にたくなる。朝になれば甘すぎるコーヒーみたいにどろどろの頭で考えることすらおぼつかない。そういった日々の繰り返しの中(俺は何回日々の繰り返しについて書いているのだろうか)、少しはマシな言葉を並べられるのではないかと思ってブログを書く。少しはマシなコードを並べられるのではないかと思えば曲を作る。夜中は息を吸って吐くのと同じようにふと湧いて出る希死念慮に悩まされる。が、それは言葉を紡ぐには成程それらしい理由になる気がして、これだけは悪い気はしない。

 必要な時には姿を現さない睡魔が、必要な時には全く効かない睡眠薬のせいで瞼をちりちりとくすぐるので、ちゃちゃっと書いてしまおう。簡単に文字数を埋めるには、死にたいだとか消えたいだとかを表現技巧で薄めてしまうのが一番いいのだが、死にたいや消えたいなどの思いが、今はそれほど頭の中を占めてはいない。中古車のハンドルの癖みたいに意識に関係なく気持ちがそちらへ曲がるけれども、それは些細な意識ですぐに帰ってこれる。俺は必要とする時には必要な分以下の希死念慮しか持てないようだ。その性分のせいでいつも死に損なっている。もう半年も死に損なっていない。あまりに自分が健康になってしまったように感じて薄気味悪い。恐怖さえ覚える。

 

 最近はアニメソングばかりを聴いている。アニメソングはその用途に応じるという意図、紋切り型のきらきらしたデフォルメが必要以上に無害で、そして無害ゆえの単純さが空虚な気持ちにひっそりと寄り添ってくれる。こういった消費文化の中の物に触れていると、長くは続かない一過性の物だが(それは酩酊によく似ている)、それ故に癒される。「これは空虚である」、「これは何ももたらさない」それが慰めに感じる人もいる。薬物中毒者や買い物中毒者など、何かに縋って生きている人のうちの何割かはこのポエティックな心を持っているだろう。そしてそれは一般の人の割合より幾分か高いだろう(この感性は一般人の持たない特別なものだというような大それたことは言いたくないので)。