反日常系

日常派

闘病日誌になってしまう向上心

 ここ数日は病院の友達に会ったり、羽川さんに部屋の掃除をしてもらったりしていました。

 病院の友人とは喫茶店でぼんやり話しました。なんだか、ぼんやり人と話すために人に会えるようになったのか、と書きながら自分を褒めているところです。去年の今頃は月にいっぺん人に会えれば満足といった生活をしていたのです。その頃の記憶はないので、どのようにして人のいない生活を行っていたのか不明です。ぼんやりと話して、新年号が発表されるのを待って、発表された後になにか始まる予感を享受しました。そして、このまま置いていかれるような不安を思い出したり。その後に桜を見に行き、書店を見に行った。今年の目標は季節に敏感にいることです。行事をちゃんと行い、桜が咲いて散ることを認識する。咲くのは残念ながら入院と鬱の波で視野狭窄してしまってわからなかったけれど、満開は認識できてよかった。書店でぼくはうつヌケの本を買い、なんとか実践できたらなと祈っているところです。のんびりできてよかった。

 その翌日は、羽川さんが部屋に来た。その前に人並みに部屋を片付けていたものの、そこをさらに綺麗にして貰った。とても清々しい気分で部屋に居れることが多くなった。今までは逃げるように神社にお参りして、謎の「ここにいるべきではない」という感覚を一旦外に預け、また部屋に帰り、「ここにいるべきではない」という感覚を持っていることが多かった。それに、「いつでも死ねるようにしなければ」という強迫観念で家具を買えずにいて、家にある家具と言えばカラーボックスが一つという有り様でした。それを森に話すと、「箱にぶちこんどいたらええねん」と、要領のいい答えが返ってきた。羽川さんにかなり箱に整理して貰って、ようやく、死んではいけない家ができた。綺麗な部屋にいると、死や猥雑なイメージが思い浮かぶことが少ない気がする。なににしても、すこしずつ良くなっていると信じたい。

 今日は早めに予定してもらっていた通院日でした。医者は無愛想で、病棟医に馴れていたから、少し「怖いな」と思った。薬に大幅な変更はなく、ODできない量を正直に申告して頓服を少な目に貰った。また一週間後。四時間くらい時間が取られると思うと少しため息が出るけれど、ここ数日の人に会えたパワーや、桜を見れた視野、死んではいけない空間を考えると、ほんの少し力が湧いた。そんな気がした。