反日常系

日常派

日記に必要ない描写

 薬屋で長い間待たされていた。スマホを覗く歪んで曲がった背筋を何回も伸ばし、肩を開き、目線を上げ、首を回す。目線を上げると視界に壁に取り付けられたテレビが写り、ぼんやりと見ていると速報の音が鳴る。その音につられてテレビを注視すると、アナウンサーが東京都の今日の感染者数を読み上げる。今になっては詳細な人数を思い出すことは出来ないが、九百人以上千人以下だったことだけは覚えていて、その時は「千の位を忘れているのではないか?」と、ほっとする心持ちと心配をスカされた心持ちを半々ずつ持って聞いていたのを思い出す。

 五百ミリリットルペットボトルを飲んでいる老人がニュースに野次を入れる。老人は独り言を変な調子で口ずさみながら、薬局内をうろつく。時たま吸い付くようにして飲むコカ・コーラのペットボトルが凹み、ボコっという音が鳴る。それによって意識したくない他者の存在を感じさせられるのがとても苛苛しい。

 派手な髪色をした男と金髪の女のカップルが入ってくる。スマホに目を落とした俺の視界に、ほつれている網タイツと、すり減るのに仏教的な観念の時間さえ必要そうな厚底の靴が入る。カップルの顔を確認する。羨望の思いが一ミリも入り込む余裕のない顔だ。視界があるのかも疑わしい男と、黒いアイシャドウで囲みすぎてドラッグに溺れたことのあるロックミュージシャンの現在みたいな目付きになっている女。こういう攻撃的な描写になってしまうのは、彼らが派手というだけで攻撃されたような気分になってしまう反動だ。二人はぺちゃくちゃと何かを喋りながら俺の隣に座った。

 まだ俺の名前は呼ばれない。また背筋を伸ばして強ばった筋肉を解す。老婆の連れの娘があと何分かかるのかを薬剤師に苛立ちながら質問する。ニュースキャスターは昨日と違うことは確実なのに違いのわからないニュースを読み上げることに執心していた。それは文化的な流れ作業に感じられる。すべては流れ作業の中の些細な差異に過ぎないのかもしれない。と、描写を繰り返していると考えてしまう。