反日常系

日常派

継続のための継続

 自殺まではいかずとも、消えてなくなりたい時がある。昔はそういった気持ちを自罰的行為に変えて気晴らしをしてきたのだが、もう身体はボロボロで、そういった行為も出来なくなってきた。リストカットをすれば親指の動きが鈍くなるし、オーバードーズをすれば腎臓を悪くして小便が出なくなる。

 来月にはまた歳をとる。その話題になる度に「私ぐらいの歳になるとね、もう誕生日とか嬉しくないのよ」と年増ぶって笑いを取るが、本心は言葉と全く乖離していない。色んな遅咲きの人が「○○歳までは大丈夫」と言っているのを採取して、自分はまだ大丈夫だと思い込むようにしているが、もう二十六を大丈夫と言う人はいないようだ。来月俺は二十六になります。

 この歳になると同年代の動向が気になってくる。小中学校の友人の有島くんはヒモをやって生きているようだ。友人づてに聞いた。その話を俺にしてくれた友人は何かと文章を褒めてくれる(ありがたい)。でも、文章が上手くても金にはならない。自分の能力は六十点を平均して出せるような感じだと思うのだが、そんなのいらないから女のヒモになる能力が百点の人間として生まれたかった。音楽も同じだ。一人二人からお褒めの言葉を頂いて、その度に狂喜乱舞するが、正気に戻った後、そんな小さなことで喜んでいるなんて俺ってしょぼいんだなと少しだけ落ち込む。作品の善し悪しに関係なく、誰がこんなん聴いているのだろうと思う。そして、こんなブログも。

 リアクションが全くないから、大勢に無視されている気分になる。実情は視界にすら入ってないだけなのだが。スマホフリック入力すればするほど、弦を鳴らし声を出すほど、自分の影が薄れていくような気がする。それでも何故続けるかと言うと、暇つぶしのため、することがないため……。好きだからとか、そんな高尚なものではない。続けることでいつか無視されることに慣れる日が来るのではないか。そうすれば辛くもなく継続できるようになるのではないか。今はそういったことを願っている。