反日常系

日常派

酩酊すら遠ざかって、僕は誰か虚構を愛する

 二箇所通ってる精神科医から、口八丁で薬をせしめたが、どちらも効くようなものではなかった。ベンゾジアゼピンを信用しすぎていたのか、酒と一緒に飲んだレキソタンブロチゾラムも、酩酊に適うような代物ではなく、ただ下腹部がふつふつとして気分の悪さを助長させただけだった。

 もう、ベンゾジアゼピンも潮時か。そう思うと、様々な市販薬が脳内に映っては消える。ブロン、金パブ、レスタミン、ウット、コンタック……。それらは全て僕の体に大打撃を与えて去っていった。後遺症で最も困るのは精神的吃音のようなもので、自分の言いたいことに適当な言葉が全く思い浮かばない。今僕は類語辞典と仲良くしている。

 違法行為をしない以上、酩酊のない人生をこれから進んでいかなければならないのだと思うと、それはオアシスのない砂漠を駱駝と一緒にうろつき回っているような気分になる。

 酩酊。それはロックンロールにも似て、「問題を解決するのがロックンロールではない。問題を抱えさせたまま躍らせるのがロックンロールだ」と言ったのはピート・タウンゼントだったか。それは多くの物事に言える。大袈裟に言えば人生にすり替えても成り立つ言葉だろう。人生とは問題を抱えながら、忘れたフリをして踊り続けるものだ。上手な踊りや、足をもつれさせるような下手くそな踊りも、誰をも不幸にしないファム・ファタールにとっては可愛らしいもので、アルコールに自分の足を賭けては、そのファム・ファタールを自分のものにしようとする。

 そうだ! 酒だ! 酒さえあれば、メディスンやドラッグに頼っていた自分の足のもつれも、少しは様になるやもしれない。しかし、私の体は酒を大体拒否し始める。飲めるのはセブンイレブンクリアクーラーだけで、そいつは全く上機嫌にもしなければ憂鬱だって呼んでくる有様だ。ウィスキー、ウォッカテキーラ……そいつらが自分の味方であれば、自分の悩みを忘れさせ、優しいファム・ファタールに「それはとても魅力的だ」とでも勘違いさせることが出来るかもしれない。

 難儀して細いタバコの火の種を消す。クリアクーラーを500ミリリットル飲む。時間を開けて、煙草を三本吸いきった後に350ミリリットルを飲む。人と会うことはほとんどない。時折、親から連絡が来て、認知症の祖母を看護してやるくらいだ。こんなせせこましい悩みじゃ、たとえ優しくてもファム・ファタールは振り向いてはくれないだろう。

 ねえ、僕のファム・ファタール(僕のファム・ファタールは僕をたまにしか傷つけないだろう)(しかし小指に結ばれているのはどう見ても赤い糸ではない)、僕のほとんど忘れてしまった不幸を酒と一緒に飲んでくれないか。酒じゃなくてもいい。コーラだってカフェ・オ・レだっていい。ただ、貴方に僕の不幸を少しでも興味を惹いて貰いたいだけなんだ。哀れんでくれないか。そうするには君は些か元気がないかい? 些かも興味を持てないかい? 何にしろ僕は存在しない概念を君に例えているほど脳がやられちまってるんだからね。君が元気になったら、僕が面白くなれたら、どうか同じ時間を過ごさせてはくれないかね。頼むよ。