保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

小説

 僕にはないものが多い。夢もないし金もないし将来的なヴィジョンもない健康体でもない。ないものづくしだが、最悪なのはこれでもまだ最低ではないことだ。なにもないということで一から始めたがるが、なにもないことはゼロじゃなくてマイナスだ。始める暇がないくらい、いろんなことに気を付けて生きてる。悪いことを誇るように、滲む血を見せびらかすような生き方はなるべく避けたい。道の真ん中で立ちすくみ、座り込み、心配した誰かが肩を叩き、それでようやく人の顔を見上げるような生き方はやめたい。

 散歩をしていると、さまざまなことを考える。眠る前の決意みたく、すぐに忘れてしまう物事の数々。考えることは消えてしまうから、描写の数々を重ねたい。青色灯が例年より暖かい五月を冷やしてる。鼻水をすすると空気が余分に鼻に入る。公園の回旋塔に手をかけて八割の力で回す。キイキイと軋む声をあげてるのを眺める。

 公園の端っこの木に包帯みたいに白い布が巻かれている。白い布が巻かれている街路樹は害虫が寄ってきて腐りかけているのを隠すためだと聞いたことがある。それが本当なのかはわからない。今となっては誰に聞いたのかもわからない。それでも、細くなった幹とそれに不釣り合いな節張った枝は腐りかけと言われても信じざるを得ない。なんだか、細い木は笹を思い起こさせた。七夕になると現れる、スーパーの端に肩身狭そうに立っている笹。人の勝手な願いを吊り下げられて自分の身を重くしている笹。前の七夕に願い事をあの娘と考えたことがある。スーパーの片隅で願い事を考えたものの、真面目に考えるような若さはもうとうになくなって、あの娘が短冊を睨むようにして考えていたのを見ていた。僕は「健康になれますように」だとか、そんなことを書いたと思う。たぶん。

 あの娘の死が、思ったよりも長く影を落としている。死んでから何ヵ月だろうか。何を見ても考えが同じところにたどり着く。感情の比喩を求めているように現実を見ている。単純に悟ったり、簡単に兆しを結びつけてしまう。前からそういう傾向があったけれど、最近は特にひどい。悟ってしまって、当然なことに帰結したくはない。わかりやすい感傷で本当の気持ちをやり過ごしたくない。白い布を巻かれた木を見て、リストカットみたいだなんて言わなかったのは僕の意地だ。

 歩こう。歩くしかない。他にすることがなくて歩いているんじゃない、他にできることがなくて歩いているんだ。五月なのにどうしてそんな焼けているんだと思う古本色の子供が信号を急かしている。子供の後ろで信号を待つ。渡る。歩いたり外に出たり、いろんなことに目を向けようとしている。何もかもが失敗する度に家の臭いみたいに安心するトラウマを嗅ぐ。新たな恋が実らなかったから前の彼女を思い出すように、二歩歩いて三歩戻る。

 コインランドリーに入る。温い空気とエアコンの送風に目を細める猫。猫は自動ドアが開けられないから自力では出られないのだが、そんなことを気にするでもなくくつろいでいた。回っている洗濯機はなかった。何の気なしに、靴を脱ぎ、靴下を洗濯機に入れた。硬貨を入れて回す。椅子に座って裸足をぶらぶらさせる。コインランドリーの外に酒の自販機があるのを思い出して買う。冷えたコンクリートの凹凸を裸足で感じる。また椅子に座って、足の裏をはたいた。回っていく洗濯機を眺める。靴下だけでは役不足だろうが、不満そうでもなく洗濯機は回る。右回り、左回り。時計回り、半時計回り。半時計回りに時間が巻き戻ったら良いのに。いやいや、そんなことをしてどうする。人は人を助けることはできない。無力さの再確認になるだけだ。

 洗濯機におぼろに自分の影が映る。髪が伸びている。好き放題延びた髪の毛が馬鹿な犬みたいだ。血統書ばかりが高い、とても馬鹿な犬。前に前髪を切ってくれたのはあの娘だった。僕が頼み込んだのだった。自信がないと断ろうとするあの娘に、僕が頼み込んだのだ。その結果、僕は切り揃えられたぱっつんになってしまったのだが、それが面白くて仕方なかった。秘密やエピソードをぶら下げるように歩くのは痛快だった。今では前髪は好き放題伸びて、ばらばらの前髪が顔を隠している。洗濯機に溺れてしまいたい。うまく泳ぐ方法論ばかりが横行して、溺れ方は誰も教えてくれない。溺れ方と掴んだ藁の信じ方。でも、生きることを終わらせるわけにはいかない。終われるということは幸せだが、幸せとは特筆に値しない。鬼を殺したら終わりで、王子様と結ばれたら終わりで、ハッピーエンドのその後は誰も特筆しない。つまらないから。

 考え事をしていると、洗濯機が終了のアラームを鳴らす。靴下を取り出して乾燥機にいれる。靴下にはオレンジの果汁がついていた。汚い部屋に転がったオレンジを踏んでしまったのだ。匂いはないのに汚れだけが取り除けず付きまとっている。回った乾燥機に手をついていると、暖かくなっていって乾燥機が生き返るみたいだ。生き返ったらと想像すると、頭の中で生きていた頃の思い出だけが再放送された。なにも新しい会話はなかった。

「人の死を悼みたいなら、私についておいでよ。死んだ後に蛆が湧くくらいには価値があるつもりだよ」

 ははは。

「名前で呼ばれる野良猫みたいに好かれたいな。名前と鳴き声さえあれば、手垢にまみれた言葉よりも多くの愛が伝えられそうなのにな」

 ははは。

「気が狂ったふりをして、君に甘えてみようかな」

 ははは。

 あの娘は結局、泥を被って汚いことを全部知っているようなふりして、大人の気分ですべてを諦めようとしていた。そんなことが成長ではないと気づかずに。結局、すべてを諦めることができずに、間違いの留守電に遺書をしたためるような後味の悪さを僕に残して死んでいった。むかつくことばかりで、すべての言葉を借りて叱ってやりたい。むかついたり、感傷的になったりの繰り返しを早く消し去ってしまいたい。それが一番の復讐だろう。忘れてもいいと思う前に忘れてやる。

 裸足でコンビニに行き、ハサミを買う。コインランドリーに戻る。乾燥機に映るおぼろな自分の影を見ながらハサミで前髪を切った。乾燥の終わった靴下とハサミをゴミ箱に捨てて、裸足に靴を履いて帰る。家に帰り、見慣れた絶景の写真の載った十二月のカレンダーを捨てる。新しいカレンダーを張り見慣れない絶景の写真の五月のカレンダーを見る。