反日常系

日常派

New Shitを水に流した

 どうせ何にもならないと思いながら、何にもならない物事ばかりを選びとってしまう。何か心に残るワンシーンを探しながら映画を観るのに、二時間もじっとしていることが出来ず、片手間にゲームを周回しているとセリフを聞き流してしまい、十秒前に戻ることを繰り返す。最近はそうやっているから映画を観ても「よくわからなかった」という感想になってしまう。それでも映画を観たという達成感だけを得て、中身のない時間をやりすごしては一日が過ぎ去ってしまう。

 すぐに結実することを求めていると、結局何一つも結実することはないとわかりきっているのに、無為に時間と集中力、体力を消費することが嫌で嫌で仕方がない。そうしていると無為な時間で得られる体力も得られなくなって、結果からは遠ざかっていく。なんとなくの気まぐれで始めたことだけが出来る。今日は小説を書き、誰が読むんだと思いながらPixivに投稿した。俺の創作は水洗便所にクソを排泄することに似ている。出した後もう思い出さなくて済むようにケツを拭いて、流したらどこかへ消える。自分の見えないところで確かに大便は存在するのだろうが、自分では目視できないし、誰からも黙殺されて終わる。どうせ誰も見てない大便のことを恥じているのも馬鹿らしいし、一応この下にリンクを貼っておくことにする。暇なら読んで欲しい。原稿用紙十七枚半ほどあるのでかなり暇な時にでも。

#執筆応援PJ21Sep #家出 大人は夜の出来事も知っている - nulcの小説 - pixiv

 自分の創作について、思うことがないわけではない。ブログは誰も見ていないなりにスタイルを確立出来ているのでいいと思うが、小説となると書き慣れていない感じが如実に出る。どこを描写して、どこを描写しないのかの取捨選択が上手くいかない。描写をするならするでどこまで書けばいいのか、沢山書かねばならないなら沢山書けるのか。AからBまでの移動を書かねばならない時、それはワープするようにたどり着いても良いのか、それとも歩く瞬間を書かねばならぬのか。

 執筆は無限の可能性から有限の文章を生み出して行くことである。それはすべての創作に言えることだろうが。

 今回の作品は体力のなさが如実に出た。本当はこんなこと言わずに「渾身のNew Shitが出ました」とでも言いたい。自分の作品にケチをつけるのは「こんなもんじゃない」という自分の願望の入り交じった間違った客観視故だ。言い訳をする方が恥ずかしい。そんなんでも良かったら読んでください。恥ずかしがる方が抜けるスカトロ物AVみたいに、恥ずかしい方が価値のあるクソもあると思うので。