反日常系

日常派

日記

 薬ばっかり飲んでたら、次の通院までの二週間が体感四日くらいになった。通院だけが時間の指標になり、通院の度に「二(もしくは三)週間経ったのか」と感じ、その度に一日一日がちゃんと過ぎていると思う。ループしているかのような気持ちで日々を過ごしているが、同じ一日は実は(信じ難いことに)存在しなく、過去から今、今から未来へという流れの中でもう二度とない時間に無為に流されていく。何も成長せずに同じでないのに同じような一日を繰り返していたら二十一歳が二十五歳になった。殺してくれ。

 殺してくれという気持ちになることはしょっちゅうある。最近だと、睡眠薬を飲みすぎて人にラインを送っていた時。大体は薬の過剰摂取のせいで思いつきが素晴らしく感じ、話さずにはいられなくなって、話した後に、薬なしでは素晴らしくない思いつきだったと気づく時だ。しかし、当たり前だが本当に死にたい訳ではなく、これほど大事(おおごと)に感じているというアピールのための希死念慮である。リストカットや自殺未遂は人に許されようとする手段で、この認知の歪みのせいで何人もの人に呆れられ、嫌われ、疎遠になってきた。

 死にたくなるくせに、薬は何故やめることができないのだろうか。酩酊してる最中は死にたくならないからだろうか。死にたいけれど死にたくないという、精神病の人は誰でも理解できる、矛盾を孕んだ複雑な感情。そういう時にはオーバードーズという、自傷と酩酊が一緒になった行為が丁度いい。しかし、ずっとこの方法でやりすごしていく訳にはいかない。死にたいけれど死にたくないという感情に、良い対処法を見つけ出すしかない。こんなに人に迷惑をかけながら、うだうだとやってる生活が良いわけがない。歳はとる一方で、戻ることも一時停止することも出来ない。徐々に悪化していくだけだ。焦る。焦りがさらに死にたい気持ちを倍増させる。いつになったらこの気持ちを対処できるのだろうか。いつかは薬を飲むのをやめたい。でもそんなに心が強くないし、しばらくは「今日は」「今日だけは」とずるずると薬を飲み過ぎてしまおう。