反日常系

日常派

全部飲んで三時間だけいい気になる処方箋

 遊ぶことも喋ることもなく、平凡な日常を送っている。気の迷いで購入した薬もまだ届かず、荷物は台湾の辺りでうろちょろしているようだ。薬を沢山飲むことは行為としては自傷に入るのだろうが、慣れると自分の健康を害しているとわざわざ認識することもなくなって、エアガンで兎を撃つような、自分の痛みとは感じず、他者の痛みで楽しく思う行為だと錯覚するようになる。

 薬による酩酊は自己を他者に変える悦びがある。薬を飲んで翌日目を覚まし、散らかった部屋で自分の残した痕跡を辿る。そうした時、俺は憎めない人間を感じて心が躍る。自分が変身願望を抱えているというのも要因としてあるだろう。人嫌いな俺が、人と会わずに他者を感じられるのはこれ以上ない愉悦で、かつ、孤独感を緩和することが出来るともあれば手を出さずにはいられない。

 

 と、そんな内容を精神科医に話した。医者は俺の言葉を噛み締めた風の顔をして、なにか反論した。それはなんと言ったかあまり思い出せないが、ただ、正論で、俺は何も言うことが出来なかったことだけは覚えている。正論のクソ野郎が。正論はいくら正しかろうと、それが人の考えを変えれるということは全く意味しない。そもそも手前(てめえ)、三十前のガキだろ。若い女の医者は勘違いしている。人は人を変えることが出来て、そして、そうすることが仕事だと思い込んでいる。そんなの、出来るはずがない。そんな考えはキリストや仏陀の存在みたいな、そうであって欲しい人がそうであると信じ続けるような、そんな、風前の灯の、眉唾物の、綱渡りみたいにギリギリ成立している考えだ。ともすれば灯は消え、綱渡りから落ちる、そんな考えだ。

 そもそも精神科には「薬を貰いに行く(合っている薬を探しに行く)」「自傷などの体調を報告しに行く」という目的で行く。なので精神科医に説教されても、お前にはアドバイス求めてないわ、と思う。

 

「それはメリットがないし、目標と逆行しちゃってるんじゃない?」

 こんなことを言われた。正論に対してむかつく。ロジハラと騒ぐ女の気持ちがわかる。正論は何も生まない。発した本人が善人になれたと思える思い込みだけだ。

 おじいちゃん医者みたいに馬鹿みたいに薬出してくれて、話を受け流してくれる医者がほしい。薬を飲みまくって堕落していたい。