反日常系

日常派

医者に宛てた手紙

下記は通院の際に医者に渡すことを目的とした文章で、その目的を果たしたのでもう用はなくなった文章だ(目的というものはその物の用途を指定するのと同時に用済みになるまでの期限を設定する)。スパイ映画さながらバーン・アフター・リーディングでもいいのだが、無駄に労力を費やしたので消すのが惜しく、ここに吐き捨てることにした。

 

 いつもの事ながら、言葉が喉どころかケツにあって、言葉をうまく喋ることができないため、前に勧められたとおり、文章を書き、それを見せることでなにか伝えようと思う。音声は口から出るが、文章はもっと出やすいところから出るのかもしれない。文章がクソなら簡単にケツから出せる分便利かもしれない。願わくはこの文章がクソであることを。それも素晴らしいクソであることを。

 言葉は音速を超えないと言ったのは工藤冬里だったか。文章は音速より遅く、文を追うスピードはだいたい秒速十センチメートル程度だろう。これは私の読書ペースが遅い可能性もある。頭脳明晰にして容姿端麗である女医様に至っては一目十行、韋編三絶(いへんさんぜつ)であろうことは想像に難くない。一朝一夕、一石二鳥、三寒四温であるかもしれない。こんな朝三暮四を目的としたかのような、トートロジー以下の散文を読ませるのはとても気が引けるが、それが私の文章の書き方なので許していただきたい。

 医者にかかれば大体は「最近はどうでしたか?」と聞かれるだろう。どうもこうもなくいつも通り。いつも通りにクソ。下痢になったり便秘になったりすればいつもとは違う通りでクソだが、代わり映えのしない分語るべく言葉もなくただのクソだ。まあ特筆すべきこともない分マシだったとも言える。リストカットオーバードーズ瀉血もしていない。異常はない。ただほんの少し落ち込んでほんの少し眠れない日があるだけ。いつも睡眠薬の頓服薬が足りないので、できれば増やしてほしい。

 言葉を費やすための話題を探さなくてはならない。長々と文章を書いて提出したいし、サッと読まれて「さて、」となったならば最悪だ。会話は瞬間の産物だし、即興を重ねて作られる。そういったものは得意ではないし、口に出す際にためらいが生じるものは結局口に出すことは出来ない。もし出来ても、上手くいくものはない。出す瞬間にコンマ数秒でも考えたパスはカットされるように。「働きたくない」だとか「デイケアには行きたくない」だとか、口にしたくない言葉が行き止まりに結論として存在している話題ばかり先生に振られる。「なんで?」なんて返された時には最悪だ。犯行動機を訊かれているかのようなばつの悪さがある。理由を言えばそれなりの正論で返される。ある子供がピーマンを食べられないように、ある風俗嬢がフェラチオをNGにしているように、それはただ単に快か不快かの問題なのだ。理由のない快不快はどうしようもない。それを訊かれて、頭の中をひっくり返しても元々ないものはない。部屋の中で滝を探してる気分だ。快か不快かという問題でも、程度が酷ければ能う能わずの問題になる。私は後者の領域に入っていると主観で感じる。客観的にどうかは知らない。客観は主観よりも本質に近いとされている。でもその相違は今のところどうしようもない。こういうことを言うとつつかれそうで嫌だな。どうしようもないということは応急処置的に薬になる。でもその薬はずっと使ってられない。痛み止めみたいなもので、誤魔化しにしかならない。と、いったポジティブな言葉を追補しておこう。おためごかしの為に。

 問われている本質を触らずに通りすぎてしまうために文章を書いているのに、つつかれそうなことを書いてしまった。何一つ聞かれたくない気持ちになっている。分析されてしまう。分析をされるのは最悪だ。分析されてわかった気になられるのはそれのさらに下だ。私には「理解されたい」という気持ちと「私は非論理とも言える難解なので理解されるわけがない」という気持ちがある。それに当然「訳知り顔の奴は本当には私を理解していない」という気持ちがある。こういった心情には名前がついているのでしょうか? 私の心情は大学でどう習うんでしょうか? 精神分析が気になっている。それもフロイトとかが書いた頃の、無理矢理な連想ゲームみたいな胡散臭い辺りの。

 精神分析に関する興味はただ単に面白そうという気持ちと、医者が何を考えているのかを知りたいという気持ちがある。医者が何を考えているのかを知れば、少しは不快な思いをすることもなく通院ができるのではないだろうか。やり口や常套句を知っていれば、言い返すことは敵わなくとも、心穏やかに過ごせるかもしれない。

 本筋から外れた雑談を繰り返し、閑話休題の後また横道に逸れては雑談といった感じの文章だ。元々本筋など存在しない文章を目的としているので個人的にはほぼ百点なのだが。通院するのが苦痛で苦痛で仕方がない。最近はいがみ合っている気さえする。最初は楽しかった。こんなにも早く居心地が悪くなるとは。新婚旅行で倦怠期になったかのようだ。最初が楽しかったのは趣味の話など、雑談があったからだと思う。ややモヤモヤした話がされた後でも菊地成孔の話をするから人対人という風に思えた。今は医学と障害が喋っているみたいだ。だから、雑談をしてほしい。雑談とは自分を知ってもらう機会である。よく知られたいのだ。人として興味を持たれ、愛すべき(それは恋愛とかではなく、人が人に対して持つ「なんかいいな」の感覚)一個人として思われたい。愛されたい。

 という訳で、意図的に患者が医者に書く手紙という大筋をドリフトで横道に逸れる。しかし、これこそが本題になりうる話題なのかもしれない。雑談をする。

 定型の挨拶、「最近どうでしたか?」という言葉から連想して、最近聴いた音楽の話をする。これからの文章には症状も障害も関係ない。ただ無駄な話をする。

SuiseiNoboAz/ubik

 このアルバムの最後の曲が夏の終わりを歌ってて好きなんですが、夏の終わりを待ちきれずに今から聴いています。全体的に歌詞にビートニクな感じがあって好きです。ギターの歪みがかっこいいです。

YO LA TENGO/I Can Hear The Heart Beating As One

 USインディーの重鎮(ある種の「軽さ」のあるこのバンドに重鎮って言葉は似合わない気がしますが)の出世作。SugarcubeのPVが面白いので是非。ギターの歪みがかっこいいです。

Charlotte Gainsbourg/Rest

 セルジュ・ゲンスブールを父親に持つフランスの女優、歌手のアルバム。全体的に抑制的で感情に訴えるところがないところがいい。アンビエントなシンセとウィスパーな歌声が聴きやすい。

 

 長々と書いてしまい申し訳ない。長々と書くことが目的でもあったのだが。出来ればこれを読み終わった後、にこやかに雑談できることを祈る。