反日常系

日常派

本当にただの日記

 生活上のぼんやりとした不安から、真面目に実家に帰ろうかと計画している。まずは持ち物を整理することから始めた。本、CD、音楽機材を整理(整理というより流行りの言葉で言えば断捨離)し、簡易棚の粗大ゴミの収集の予約を入れた。物が少ないのはいい。いつでも旅に出れるような気持ちになれる。いつ死んでも、葬儀をやればそれでお終いですべて忘れてくれそうな気がする。

 生活上のぼんやりした不安から酩酊に逃げることも、簡単に自傷することもしたくない気分だ。これが成長なのか安定なのかは自分でもよくわからない。これからどうしようと考えると胃がキリキリ痛むが考えないという選択肢も中に入ってくるようになれた。自殺しようと思うと親が悲しむなとか考えるようになった。最近親に優しくしてもらえてるから、愛されたり大切にされたりしているということを実感できるようになってきたのだろう。うちの母親はストレスがかかるとわかりやすく顔がこわばる。それが怖くて見てられないから問題を起こさないようにしようと思っている。

 視界に入れたくて物を買うのに、物が視界に入れば飽きてくる。だから物を捨てる。そうすればそれはそれで新鮮だし、落ち着ける。新鮮と落ち着くは共存しない言葉のように思えるが、個人的にはすんなり馴染む。見慣れた景色の方がよっぽど落ち着かない。本棚やCD棚にスタメンのように太宰治ビートルズがいるのを考えるとそわそわして堪らなくなる。

 馬鹿なのでミニマリストになりたい。どちらにも詳しくないが、ミニマリストは仏教的な感じがする。所有をしていたくない。寺山修司が「レコードなんて買わなくてもレコード屋で視聴すればすべてのレコードを所有している事になる」というようなことを言っていたのを思い出す。そういう風に生きれたらいいなと思う。ドケチになりたい。ひろゆきが節約自慢しているのを見て(ひろゆきの動画を見てることが恥ずかしい)、浪費するより金銭じゃないところで幸せを享受したい。YouTubeどうが見たり、ギター弾くのが楽しかったりしたい。それで満足したい。

 満足。それが一番の論点なのだ。お金を使うことと満足はイコールでないらしい。それに気づくまで二十六年弱かかった。満足とは悟りのことでもあるのだろう。早く悟って不安から開放されたい。楽しいという感情の引き出し方を学びたい。

 明日もギターを引く予定だ。今のところはギターが一番面白い。鬱になって何も楽しく感じなくなる前に上達したい