反日常系

日常派

歯が痛い part2

 歯の痛みが引いてきた。とは言ってもまだ激痛が走るし、主に痛い部分が歯から首のリンパ節に移っただけなので、コーラで全ての栄養を賄う生活が続いている。歯やリンパ節が痛むのでプリンやゼリーを食べていたが、それでも痛む。何なら食えるんだよという気分にさせられる。

 痛みと症状をグーグル検索すると、「歯科の疾患の中で、一番痛みが強い」だとか「ある女性は、『お産よりもいたい』といい、その痛みがトラウマになってしまう方もいます」だとか書いてあり、痛みは同時に比較できないから今が一番痛いのだと思っていたが、そんなの関係なく今が一番痛いということがわかった。

 リンパ節が痛むので煙草の煙を上手く吸い込むことも出来ない。俺は煙草を吸う時、顎の下を蛙のように膨らませる癖があり、そうしないと上手く吸えない(これが皆そうなのかわからないので誰か教えてほしい)。その動きがリンパ節を舌で間接的に押しているような格好になるので激痛が走る。毎日泣きながら煙草を吸っている。なんでこんな思いをしなきゃならないんだと思うが、煙草をやめようとはつゆにも思わない。歯が膿んでると全部が膿の味と臭いの煙草になるので、早く治したいという気持ちにはなる。

 人間とは快不快の奴隷だとは俺の自説だ。こうも痛い思いをするとその自説が正しいことが身に染みる。どうせなら快の奴隷になりたい。これよりこれの方が不快が少ないというのを行動理念にしたくない。ジャンキーはその分快感に流されているので幸せそうに思えるが、薬や違法薬物の種類にもよるのだろう。依存度が強くて打ってない時は不快というような薬だと、やはりこれは不快の奴隷であり、あまり羨ましくは思えない。

 より強い快の方に流れる快の奴隷、より強い不快の方に流れる不快の奴隷。それらは考え方による差異が大きい。尿閉塞になるからブロンをやめた俺は不快の奴隷だが、そこでやめないという考えをするのが快の奴隷だろう。そう考えると一概に快の奴隷の方がいいとは言えなくなってきた。

 両者とも「より楽な方に行く」というのが行動理念のようで、その分表裏一体とも言える。

 俺が何を言いたいのかわかりますか?

 

 なにか毎回結論づけて首尾一貫してこれを導くために全てを書いているふうにしてきたが、歯の痛みのせいか膿の臭みのせいか、うまく考えをまとめることができない。こんな意識の流れ以下の文章に文字も時間も費やしたのは偏に気を紛らわせるためだ。気を紛らわせるのに付き合ってくれてありがとう。この意識からなにか論を汲み取ることに成功した人は俺にこっそり耳打ちしてください。以上。