反日常系

日常派

傷跡の話

 タトゥーを入れた。一回目だと感慨もひとしおなのだが、もう五回目なので、図書館に本を借りに行くような気軽さで入れた。左脇腹に伸びをしている猫。とても気に入っている。あとはうまくアフターケアをできるかどうかなのだ、が。

 タトゥーというものは結局傷跡なので、安定するまで気をつけなくてはならない。今日は用事にかまけていたら、タトゥーがべったり服について、それを無意識にペリッと剥がしてしまった(正しい処置は服を水をつけて優しく剥がす)。それによって剥がれたり欠けたりした部分はなく、安心なのだが、タトゥーが定着するまで気を揉む人間なので、それだけで落ち込んでぼんやりタトゥーを眺めている。

 真新しい傷跡を眺めながら、昨日自撮りに映った手首のむごたらしい傷跡のことを考えた。もう治らないケロイドたちは凹凸を光と影に分けて主張していた。どうせ治らん。タトゥーもリストカットより簡単にできればいいのにな。治療も簡単だし、消えてしまえばいいと思うものは簡単に残る。消えないままでいたいものは簡単に欠けたり消えたりする。消えないでほしい。誰かに気持ちを託すように、左脇腹の猫に祈った。傷跡を大切にするのは難しい。傷にすら良し悪しがあるのだ。大切にするのに疲れた。左手の手首から肘にかけて年輪みたいに増えていく傷は俺の影を引きずって、重さを増していくような気がする。年々増えるタトゥーは気分を軽くしてくれるのだが、一か八かどころか百も千も簡単に振り切れてしまう心が振り切れすぎて擦り切れた。全部の傷が嫌になってしまいそうだ。早くタトゥーが定着して安定したい。

 友達が「あまり見せるものじゃないよ」と俺を諌めた。まあ、そういう考え方もあるんだなとタトゥーのある両手をおずおずとテーブルの下にひっこめる。そういうことがあった。反論は特になかった。人の言うことはすべてその通りのように思える。俺の思うことはすべてそうじゃないように思える。なんだかやけにここ数日は疲れた。意義があったり、意義なんてなく楽しかったりしたが、何かが起こりすぎたようだ。今はとにかく何もしたくない。少しのやけっぱちが左脇腹の猫を惨殺しそうだ。大切にしたいのに、傷がつくくらいなら殺してしまいたい。絶対にその後は自己嫌悪で自分を消しそうになるのはわかっているのに。

 何もかもが嫌になって、すべてをやめてしまいたい。眠ったら忘れるくらいのかすり傷が、起きている最中は命さえ奪いそうだ。ポジティブな人間が死ぬこと以外かすり傷なら、俺はかすり傷すら致命傷だ。死にたい奴は死ねと言う奴ら、それらの切っ先には己がいない。のうのうと自分に死ねと言われずに生きていられる人種だ。死にたいぐらいの軽口に本気にならないでほしいで聞いてもらいたいんだが、軽口の意味として死にたい。自分がかわいくてかわいくて仕方ない。傷ついてしまうなら、すぐにぶち殺してやりたい。完治など待てない弱い心が、瘡蓋の醜さを許さない。