反日常系

日常派

無生産者

 毎年「もう十二月か……」と独りごちるし、『毎年「もう十二月か……」と独りごちる』から日記を書き始めている。

 別段、言いたいことなどないから、そうしたクリシェでブログすらやり過ごそうとしてしまう。最近は昼に起きて映画やアニメを観て、休憩して一日が過ぎる。いや、一年が過ぎていった。ことしはそういう何もないことの繰り返しで全てを蔑ろにしてしまう一年だった。

 この年に一体何が出来たというのだろう。可能性を潰して生きていたと言っても過言ではない。始まった時、我々は一体何が出来、そして終わろうとした時、我々は一体何が出来たというのだ?

 そんなことばかりを考えている。辛いことなんて何一つないのに焦燥感に駆られてメンタルがバッドに入る。思ったより金がないとか、そういった普通の事を深刻に考えすぎてしまい、鬱になった。

 人がなんとかなるだろうで片付けるところで、そうすることが出来ない。ただうじうじと悩んでしまう。待つしか解決策がないのに、待つ以外の回答を探しては気を揉んでいる。

 Dダイマーの数値が高かったこと、脂肪肝のような血液検査の結果だったこと、解離が酷くなってきてること。全て些細なことなのに大きな不安を呼び起こす。ひょっとしたら俺は死にたくないのかもしれない。死ぬより辛いことの方が怖い。今や死は救済とは一パーセントも思っていないが、死んでしまったら何もしなくて良さそうでいいなと思う。

 醜く死にたくはない。痛いのも嫌だ。後悔するのはもっと嫌だ。死にたいとは思わない。けれど、生きているのが辛いとは思う。早く終わってくれとずーっと考えている。早くジジイになって何にも動揺せずにつまらない暮らしを送りたい。

 曲も文章も思いつかない。出がらしのようだ。とりあえずぼんやりとインプットを続けているが、効果が出ているとはあまり思えない。こうも何も創造出来なくなると、死んだ方がマシのように思える。不妊症の人々の気持ちがほんの少しわかるような気がする。文章がきらりと光ったり、音楽が頭を振らせたり、子供が走り回ったりしているのを見ていたい。

 それにしても全く眠たくない。眠れれば少しは正常に戻れるのに。大したことない不安に押し潰されそうだ。些細なことだとはわかっているのに、実感が伴っていない。胃をキリキリさせるこの不安と付き合って生きていくのかと思うと、ため息が出る。何かが作れればいいのになあ。