反日常系

日常派

三十二時間かけて自室から自室へと至るフライト

 睡眠薬とチューハイで記憶を彼方へ売り飛ばした。十二月十日と思ったら十一日だった。寝る前から起きるまでの八時間のフライトの予定だったが、一日半もぶっ飛んでしまった。記憶をなくすことにはいつまで経っても慣れない。いつも記憶がない時に人に迷惑をかけてないか不安になるばかりだ。それならオーバードーズをするべきではない。そりゃそうだ。俺への回答はすべて「〜すべきではない」という形を伴う。叱られる悪ガキみたいな気分だ。

 記憶が無い時に機材を売っぱらっていた。よくある事だ、このクソ野郎。どうやってバスに乗り、どうやって身分証を提示して、どうやって俺の名前を書いたんだ? お前は俺であることを利用している。俺は俺であることを利用したりなんかしない。当たり前だからだ。と、八つ当たりしてみても、俺ではない誰かに責任転嫁することはできない。俺が悪い。だからこそ罰が悪い。死んでしまいたい。死にたい。自分でハンドルから手を離したくて錠剤に手を出すのに、辿り着いた場所やブレーキ痕から自己嫌悪のハンドルをまた取らされる。

 生きることから一時的に逃避したいのに、たちの悪いことに逃避とは帰還があってこそだ。本当に死んでしまいたいのかもしれない。無責任に死者の側からポップコーンでも食べて野次っていたい。責任のある観客なんかクソだ。そして舞台上でクソ滑ってる手品をやってるのは他でもない俺だ。自分を見ているのはとても辛い。何かを暗喩しているかのような鏡が舞台上に置かれている。つまらなそうに口の端を下げている俺の顔が反射している。日常生活上の鏡ならいいが暗喩としての鏡はクソだ。そんなものは使い古されて、水垢が心霊写真のようにこびりついている。

 記憶がない時はどのように振舞っていたのだろう。一応手首を切るか悩んで、面倒だからしなかった記憶だけが残っている。ちんぽを出しながら歩いていた訳ではないだろうが、人に罵詈雑言を浴びせただろうか? 人に迷惑をかけていないだろうか? 堂々巡りになるが、そんなことを心配するなら薬をやらなければ良いだけの話である。心配を上回る快楽がある訳ではない。ただ、人生を一時的に離脱できるだけだ。しかし、それは快楽以上に俺が求めているもので、故に俺は飲み干すまで睡眠薬を手放すことが出来ない。時折、俺は人に呆れられる。そのことに関して、俺は天才的とも言える。愛を使い果たした人から俺の元を去る。それの繰り返し。ただ、その瞬間に使われる愛に溺れているだけだ。それはとても悲しいことだと気づいている。ただ、実感には足りない。